| 2008.7 | 的ヶ浜が教えてくれたこと |
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to top 日本カトリック部落差別人権委員会ニュースレターより2008年
的ヶ浜が教えてくれたこと
下田由子
別府的ヶ浜事件。初めて聞く言葉だった。好奇心も手伝い、即、合宿への参加を決めた。部落問題委員会の主催する合宿だから、この的ヶ浜という所も当然、被差別部落なのだろうと思っていたが、そうではなかった。
歴史的に見ても的ヶ浜には被差別部落はなく、事件が起った1922年当時、そこは「サンカ」と呼ばれる人々の集落であり、ハンセン病患者も住んでいたという。資料によっては、納税者、在郷軍人あるいは窃盗などの「前科者」も含まれていたとのこと。こうした人々の住居が別府警察署の警察官によって焼打ちされたのが的ヶ浜事件である。なぜ焼打ちされたのか?当時、皇族の閑院宮の別府来訪を控え、見苦しい集落を一掃するためか、「サンカ」の人々を犯罪者集団とみなし不正予防として行ったのか、あるいは、当時、ハンセン病患者の隔離、消毒のために患者の住居を焼き払うということが一般的に行われていたことから、ここでもその目的のために焼かれたのか、こうした理由もうやむやにされている。焼け出された人々への救済活動も徹底的に妨害され、事件は不問に付されてしまった。真相は未だわからぬままだという。だが、確かなことは、当時の権力ー警察ーの暴挙によって、的ヶ浜の人々は力ずくで生活の拠り所を奪われるという差別と人権侵害を受けたということだ。
現在の別府湾の海岸線は埋め立てられ、事件が起った当時の的ヶ浜はもはや海岸線に位置していない。碑が建てられているわけでもなく、事件の痕跡は微塵もない。しかし、この地に立った時、私は言い知れぬ感覚に襲われた。その土地が、空気が、当時の的ヶ浜の人々の嘆き、慟哭、叫びを運んでくるような・・・。力を持つ者が弱い者を抑圧し苦しめている。今だってそう!世の中はちっとも変わっていない!俄に怒りがこみ上げてきた。が、しばらくして、その場を後に歩き始めた私は、ふと自分の現実に引き戻された。日頃、私は人を差別することなどしていない・・・でも、それは思い込みではないのか?目の前に日常の身近なところで不用意な言葉を発している自分が浮上した。「あの人、ちょっと変わってるね、見た目も・・・」などと、いとも簡単に口にしてしまう。こうした言葉の奥には紛れもなく自分とは異質と感じる人への偏見や差別の心が潜んでいる。「部落の人」と聞くと、その人の前で一瞬、自分の中の何かが構えては次の瞬間、何事もなかったかのように素知らぬ顔をする。これって一体何なのか。
的ヶ浜の地で感じた怒りは私自身の現実を前にして力を失っていくようだった。この怒りはまず自分自身に向けられるはずのものだったのだ。命がけで一人ひとりを愛し抜かれたキリストとの深い溝に狼狽えながらも、私はこの方に自らの解放を祈り求めずにはいられない。そして、的ヶ浜という現場が私の真実を教えてくれたように、心して現場に身を置き、差別されている人々と出会い、親しい関係を結べるようになりたい。これ以外に、私が差別というものから解放される道はないだろうと思っている。
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