教会文書 から

カトリック司教協議会・社会司教委員会の文書

社会司教委員会のメッセージ

07.07 2007年・平和旬間のための談話
06.12.19 新教育基本法成立について大変遺憾に思います。
06.11.02 教育基本法改定への懸念について
「非暴力による平和への道」  全文掲載
06.07 2006年平和旬間にあたって・社会司教委員会委員長
04.07.12
2004年「日本カトリック平和旬間」メッセージ
子どもと向き合おう 〜平和をつくるために〜
03.07.25
本当にこの道でいいのでしょうか
2003年平和旬間にあたって
Are We Following the Right Path? On the Occasion of the Peace Period, 2003.

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2007年・平和旬間のための談話

日本カトリック社会司教委員会 
委員長 高 見 三 明

今年も暑い夏とともに平和旬間が近づいてきました。私たち社会司教委員会は、この大切な期間を迎えるに際し、今一度平和のために心から祈り、行動することを皆さんに呼びかけたいと思います。
思い起こせば1981年、ヨハネ・パウロ二世が歴代教皇の中で始めて日本の土を踏んで以来、すでに26年が経ちました。その時に広島から全世界に向かって発したことば、「戦争は人間の仕業です。戦争は死です」から始まる平和アピールは、今も私たちの心に深く響いています。しかも、その内容はまさに今の世界と日本の現状に対してまったく変わらない大切なメッセージを含んでいます。世界各地で続いている暴力の連鎖、核拡散の危機、とてつもない貧富の格差や環境の破壊など、人間の命を脅かし平和を壊す動きはとどまるところを知りませんが、このメッセージに応えて平和をつくろうと努力している人々がいることは私たちにとって希望でもあります。なぜなら、戦争するのも人間ですが、その同じ人間がまた平和をもつくることができると信じるからです。それは同時に、平和のために来られ、今も私たちと共に働いておられるキリストご自身が“平和の主”と信じることでもあります。
今年、私たち社会司教委員会は、皆さんに平和旬間の取り組みの材料をいくつか紹介したいと思います。それらを活用しながら、皆さんの小教区、各家庭、個人で平和のために共に祈り、行動していただけたらと思います。

1. 今年の2月に発表された司教団メッセージ「信教の自由と政教分離について」をよく読み、問題意識を深める。
『信教の自由と政教分離』日本カトリック司教協議会社会司教委員会・編
(600円+税)
カトリック中央協議会出版部  TEL 03-5632-4429 FAX 03-5632-4456
2. 教皇ヨハネ・パウロ二世の平和アピールをもう一度味わい、平和への決意を新たにする。
プリント「教皇ヨハネ・パウロ2世 平和アピール」日本語&英語 
カトリック中央協議会社会福音化推進部  TEL 03-5632-4413 FAX 03-5632-4461
3. 平和旬間の間に教会や家庭で平和のための祈りの集いをする。
戦後60年『平和の祈り』 日本カトリック正義と平和協議会・編 
                        (送料+カンパ)
 カトリック正義と平和協議会  TEL 03-5632-4444 FAX03-5632-7920


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新教育基本法成立について大変遺憾に思います。
1. 教育基本法の改定そのものよりも、教育のあり方を問題にして議論すべきです。いま何故、教育基本法を「改正」する必要があるのか、「いじめ」をはじめとした教育が改定によって改善されるのかどうか、今までの教育基本法では「教育危機」になぜ対応できないか、改定基本法がめざす具体的な教育像、教育が良くなるという展望などについても、議論が尽くされていません。
2. 教育基本法は憲法を基礎にしている重要な法律ですから、もっと時間をかけて国民の間で議論すべきであったと思います。政府与党では、教育基本法改定に関して国民の間での議論は尽くしたと判断されたのかもしれませんが、教育現場その他からの反論や異論をどの程度真剣に取り上げてくれたのかわからないままであり、明らかに浪費と思われる公費の使い方で“やらせ”タウン・ミーティングをして、しかも責任ある為政者たちの責任の取り方が金銭のレベルにとどまっているということにも問題があります。
3. 教育基本法は憲法と一体の教育における根本法規です。憲法も教育基本法も、国民ではなく政府への縛りとなる法規のはずです。それを今回の改定により国民に対する縛りへと変更されました。つまり国家や行政は教育に介入してはならないという重要な規定を変質させ、政府や行政による教育への介入を可能にしてしまったのです。
4. 今回の改定の主な理由と目的は、個人教育から公共教育への移行に尽きるようですが、教育が国家によって規制されるのではないかという危惧を拭い去ることができません。個人の「人格の完成」を「個人の尊厳」にもとづいて行う教育から「国家のための教育」に変え、個人の権利としての教育を、国家の権利に変質させるものであります。「ゆとり」や「個性化」とは逆の「管理」と「内面の支配」が進行し、「国策に従う人間」をつくる教育へと逆戻りするのではないでしょうか。
5. この改定によって、教育における競争、教育格差はいっそう拡大し、子どもたちの心はいま以上に荒廃して「いじめ」などの「教育危機」はさらに激しくなることが危ぐされます。
6. 今回の改定は、憲法改正のための一つの布石ということにも危機感を覚えます。有事関連法の成立、防衛庁の防衛省昇格、教育基本法改正などによって、憲法改定とくに九条や二十条の改定に向けて外堀が着々と埋められつつあると見ています。軍隊を保持し国家権力を縦横に行使できる国になりつつあることを大変憂慮しています。

2006年12月18日
日本カトリック司教協議会
社会司教委員会


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2006年11月2日

内閣総理大臣 安倍晋三様
文部科学大臣 伊吹文明様

教育基本法改定への懸念について

安倍首相は、9月29日に行われた初の所信表明演説のなかで、「教育の目的は、志のある国民を育て、品格ある国家、社会をつくること」であると述べられ、教育基本法「改正」案(以下「政府改定案」という)の早期成立を期すとされました。これについて、日本カトリック司教協議会社会司教委員会は、以下のとおり深刻な懸念を表明いたします。

ご存知のようにカトリック教会は、長らく我が国の教育に協力してまいりました。現在、幼稚園、小学校、中・高等学校、短期大学、専門専修学校、大学と各種学校など800余りの施設において、24万人以上におよぶ園児、児童、生徒と学生の成長のために、日夜できるかぎりの力を注いでおります。
また、国際的な共同体であるカトリック教会は、すでに何世紀にもわたり、世界のいたるところで、その国や地域の社会や文化のさまざまな必要性に応じつつ、子どもと成人の人間的な可能性の開花のために尽力してまいりました。
こうした実践と経験に照らすとき、去る4月28日の閣議決定により上程された教育基本法改定案に示される教育観は、これからの児童・生徒・学生の人格的な発展と、彼らが担う日本と国際社会の将来に重大な障害をもたらすものであるので、カトリック教会としては、受け入れることができません。その理由は以下のとおりです。

現行教育基本法の変わらぬ価値
今日の日本の教育制度が看過できぬほど疲弊し、危機に直面していることはたしかです。いじめや不登校、学級崩壊、自立心・学ぶ意欲と学力の低下、学校間の格差拡大、青少年の規範意識や道徳心の希薄化、家庭や地域による教育力の弱まり、大学の国際競争力の不十分さなど、教育をめぐる状況にはさまざまな問題が渦巻いています。安倍首相が言われるとおり、日本の教育を根本から見直し、子どもと親と教師が安心して希望をもって学べる環境をつくる「教育の再生」は、焦眉の課題です。しかしながら、これについては拙速な国会審議による法制の改定ではなく、主権者である国民の一人ひとりが、いかにすればこの国の次世代に、生き甲斐と希望を与える創造性豊かな教育が可能になるかを考えるために、「百年の計」といわれる息の長い徹底した議論が続けられなければなりません。
子どもが直面している問題は、大人社会のゆがみの投影でもあるのですから、原因のすべてを教育に負わせ、「だから教育基本法を改定する」というのは短絡にすぎるのではないでしょうか。日本社会全体をおおう自信喪失や閉塞感、不安感の広がり、倫理観や社会的使命感の喪失は、法律の条文を変えることで解決できることではありません。他のより根深い原因を見いだし、総合的に解決の道を探ることこそが政治の課題ではないでしょうか。現在、国会で審議されている政府改定案および安倍首相による教育再生会議は、学校や学区選択の自由化にともなう学校評価制度による競争の激化、教員免許の更新制度などの管理強化による教職員の多忙化を促すものであります。厳しい競争にもかかわらず、若年層の雇用が絶望的な状況にあるのを目の当たりにして、生徒たちが学習意欲をそがれている現状を鑑みれば、市場原理を教育に導入した結果「ゆとり」や「個性化」とは逆の「管理」と「内面の支配」が進行した教育現場に、教育基本法の改定が新たな救済を与えるとは考えられません。子どもたちに問題が起こっている原因の根本が、教育の退廃であるよりも、むしろ政治の結果により社会格差が広がり、人々が不安になっていることにあることが見過ごされてはならないと思います。
 教育基本法は、その前文で、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」が日本の教育の課題であるとしています。そして児童・生徒が、一人の主権者として「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献」しうるよう、「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底」することを求めています。そこから「教育の目的」は「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」にあると第一条で定めます。このように崇高で普遍的な人間観・教育観が、なぜ訂正されるべきだというのでしょうか。現在の混迷する社会状況においてこそ、むしろこの教育基本法の精神を今一度根本的に咀嚼しなおすことが求められているのではないでしょうか。
 また、現行の教育基本法がこの60年間の教育に与えた積極的側面を適正に評価すべきことは言うまでもありません。例えば、平和教育が健全な国際的視野を形成することに貢献してきたこと、個人の尊厳を重視することが同和教育や男女平等教育をはじめとする人権教育を促進し、平等な社会を形成することに貢献してきたこと、生徒の人格を大切にすることが教師と生徒の関係を力学的なものではなく、対話的なものとし、対話を大切にする社会を形成することに貢献してきたこと、競争の原理を学校現場で抑制したことが、社会全体のさまざまな格差を生み出す力を抑えたことなどがあげられます。このような実りを生み出している現行法をより地道に実施することこそ、今求められているのではないでしょうか。

カトリック教会の立場
教育基本法のこうした教育理念は、わたくしどもカトリック教会の見方と深く符合するものです。カトリック信仰に基づく教育において、児童・生徒の一人ひとりは、知性と自由意志、知恵と良心を与えられ、神にかたどったいのちをいただく人間です。彼らは、自分の持ち物と生活のすべてを愛する者たちと分かち合い、死にいたるまで人々をいつくしんだイエス・キリストの愛の精神にならうように育成されます。キリスト教の教育は、イエス・キリストに現された神のいつくしみにおいて、同胞であるすべての人間、とりわけ貧困や飢餓、財と資源の不公平な配分に苦しむ者たち、社会的・人種的・政治的な差別をこうむる者たちなど、最も立場の弱い者の権利と尊厳を尊重し、外国人や立場の異なる他者のあらゆる悲惨に惜しみなく心を開き、さらにすすんで侮辱を赦し、和解によって敵意を乗り越えた共同体の建設を祈り求める生き方を追求します。それは、愛に反するいかなる搾取や暴力とは相容れない生活であるので、この世の支配勢力による抑圧や戦争にはきわめて厳格に反対いたします。
ところが、今日の世界を見渡せば、地球的な拡がりにおいて経済・社会・政治・文化的に力をもつ者が、もたざる者たちを抑圧しています。人々は、そうした流れの中で生き残るために、金銭・快楽・栄誉・権力などの偶像を礼拝する誘惑に絶えずさらされています。諸国民と国際共同体の間に、またわたしたちの身近なところで分裂と暴力が生じている原因は、つきつめれば、真の神秘性を畏れ敬う感覚を忘れてしまった結果による、人間の利己主義と自己の利得追求への欲望にあるのでしょう。それに対して、次世代の国際社会にはばたく子どもたちの教育には、力による圧政と支配ではなく、いつくしみの神の前に立つ人格として、愛と正義の要求への回心と和解、物や文化の分かち合いを通して互いに交わりながら、愛と正義と平和の共同体を建設する人間になるという視点がなにより大切です。こうした意味で、わたくしどもは、現行教育基本法が謳う「人格の完成」の教育に賛同しているのです。

根本的な懸念事項
以上のキリスト教的視点から考慮するならば、政府改定案には、懸念される点が多々見受けられます。

1.「人格の完成」をめざす教育から「国策に従う人間」をつくる教育への逆戻り
まずなによりも重大な問題は、政府改定案が、子どもたち一人ひとりの「人格の完成」をめざす教育から「国策に従う人間」をつくる教育へと、教育の目的についての価値体系を百八十度逆転させていることです。教育とは、本来、人間の内面的価値にかかわる普遍的・文化的な営みですから、一時の政治的な立場や利害に従属するものであってはならないものです。わたくしども日本のカトリック教会は、明治憲法の下で、1932年の「上智大学生靖国神社参拝拒否事件」を契機として、国家による教育への不当な介入に苦慮した経験をもちますので、この点については大きな関心を持っております。
現行教育基本法は、そもそも戦争の悲惨な体験への痛切な反省から生まれたものです。戦前・戦中の教育は、国家権力の強い統制下におかれ、「教育勅語」に基づく画一的な教育を児童・生徒に押しつけるものでしたが、それはやがて軍国主義一色に染め上げられ、結果として青少年が無謀極まる戦争に巻き込まれました。
敗戦の後、灰燼から立ち上がり、明るい国家を再建するという国民の希望を託して制定された日本国憲法の精神を実現するために、憲法13条及び26条を受けて、教育の基本理念を定めたのが教育基本法です。それは、教育が、祖国を破滅の淵にまで追い込んだ国家目的の手段となり、子どもたちがそのための道具・材料とされたことへの反省から、なにより教育が一人ひとりの人間のためにあり(前文および第1条)、そのため教員は、国家ではなく国民全体への奉仕者であることを明記し(第6条)、国家による教育への不当な介入と支配を防ぐために制定されたのです(第10条)。それゆえこの法律は、憲法の附属法として、憲法と同様に国家に対して制約を課すのみならず、その普遍的な性格に応じて、「児童の権利に関する条約」などの国際条約との間の整合性をも確保することが求められる法律です。
ところが政府改定案は、憲法改定への布石としての意味合いが込められているのでしょうが、教育基本法を憲法の精神から引き離すことをはかり、現行法の原則を根底から覆そうとしています。すなわち、現行法第10条1項「国民全体に対し直接に責任を負って」を削除し、これを「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」(政府案第16条1項)に置き換え、また、第6条の「全体の奉仕者」を削除して、主権者である国民ではなく、国家や地方行政、教育委員会などが主体となって教育を統制するという戦前教育への逆行が意図されています。それはさらに、政府法案の第2条が「教育の目標」を達成するための五つの「徳目」を挙げて教育内容にも介入すること、第17条が「教育振興基本計画」により教育内容と共に学校と教員の関係、教員の研修や評価などを詳細に決定、実施、それに応じて予算配分することから、教育が国や地方公共団体の命じるとおりに実施されることが目指されていることにもあてはまります。
教育は「人格の完成」という個人の内心の自主性にかかわる営みですから、その目標を法律によって義務づけて強制したり、さらにそれを評価しうるものでは決してありません。この点で、特にいわゆる愛国主義的な徳目である「公共の精神を尊び」(第2条3項)、「伝統文化を尊重し」、「国と郷土を愛する」(同5項)など、本来個人の内心の自由に属する事柄を評価の対象ともなりうる教育目標とすることは、憲法19条が保障した思想・良心・内心の自由を踏みにじることにもなりかねません。こうした条項が盛り込まれることにより、すでに東京都教育委員会による「君が代」歌唱をめぐる教員の大量処分において現実となっているような、思想・良心・信条に対する暴挙がさらに頻発することが危惧されます。
 なお、愛国心の問題と関連して、政府改定案が日本に在住して教育を受けている外国籍の児童・生徒および保護者をどれほど配慮しているのかについても懸念されます。わたくしども日本のカトリック教会や他のキリスト教会の構成員には、多くの外国籍の人々がおります。今後ますます国際化していく日本社会の教育を考えるにあたっては、こうした異文化を背景とする人々の存在をも考慮せねばならないと思います。

2.格差の再生産・社会の差別的な構造・社会階層の固定化の助長
もう一つの大きな懸念事項は、政府改定案が、教育の根本を平和と民主主義とそれに基づく平等に見てきたこれまでの原則(現行法第3条)を逆転し、選別と差別、さらにうがって見れば憲法第9条改定を見越して戦争遂行のための国民動員の手段にしようとしているということです。
政府改定案は、教育を受ける者の「資質」(第1条、第5条)や「能力」(第2条2項、第4条、第5条)を強調しますが、それは「人格の完成」という目標に向けられた主権者としての「個人の尊厳」(現行法前文)および「個人の価値」(同第1条)を高めるための「能力」(同第3条)ではなく、職業と結びついて市場から評価される「能力」でしょう。これは、日本の義務教育が従来もっていた国民の平等を促す機能を弱め、すでに部分的に進行している習熟度別指導・学校選択自由化・小中高の一貫校導入などによる教育の序列化や、教員や学校に対する外部評価など、教育における能力主義・競争主義をさらにあおることになります。わたくしどもが危惧するのは、その結果として、国民の間に階層差による分断や差別が生じるということです。
 こうした方向性は、日本社会に進行するいわゆる「新自由主義改革」と連動したものでしょう。1990年代以後、財界主導による日本の労働力政策の転換により、長期の正規雇用はすでに著しく制限され、不安定な雇用に甘んじる人々が激増しており、最近では、懸命に労働しながらも報われない「ワーキング・プアー」や、こうした社会構造になじめない「ニート」と呼ばれる若者たちの問題が注目されています。しかしながら、政府改定案は、少数の「国家にとって有用な人材」と多数の下層労働力をつくりだすシステムの進行に加担し、これをますます加速させるものです。このような教育が行われ続けるならば、富裕な階層の子どもは恵まれた教育環境を利して、親たちが得ていた社会の支配権を再び受け継ぎ、貧しい階層出身の子どもはあいかわらず低い地位に落としめられたまま、というサイクルがますます根深く固定していくことでしょう。
 政府改定案の背景にあるこうした市場競争原理の教育への導入は、結局のところ、教育現場と社会全体に深刻な分裂と不安定をもたらすものです。政府はこうした事態を上からの統制によって束ねるためのイデオロギーとして、「愛国心」や「公共の精神」を強調しますが、そうした内心への強制は、個人の尊厳に基づく自由とは全く反対の奴隷的服従を強いることによって、「何も考えず、何も問わない」人間をつくることであり、わたくしどもがとらえている教育の本質を破壊します。

 以上のように、教育基本法改定の動きの中に透けて見える愛と正義に反する圧力、すなわち競争の強制による分断と差別が人々の間の人間らしい協力や連帯を断ち切っていく働きに対して、わたしたちは同調することができません。安倍総理大臣、伊吹文部科学大臣におかれましては、教育基本法の改定にこだわるのではなく、むしろ真の教育再生に向けて国民全体にいきわたった議論を喚起し、日本の将来を担う大切な子どもたちの一人ひとりを見つめて、彼らの健やかな成長を暖かく見守り支援する、愛と正義に即した教育改革が実行されるよう、ご尽力をお願いいたします。
以上

日本カトリック司教協議会 社会司教委員会
委員長  高見三明(長崎教区大司教)
委 員  谷 大二(さいたま教区司教)
松浦悟郎(大阪教区補佐司教)
宮原良治(大分教区司教)
菊地 功(新潟教区司教)


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本当にこの道でいいのでしょうか
2003年平和旬間にあたって

1981年、広島の地に降り立ったヨハネ・パウロ2世教皇は、「戦争は人間の仕業です」と説き、全世界に平和を呼びかけられました。これに応え、日本の司教団は、8月6日〜15日を「平和旬間」と定めました。それから22年、日本の教会は、平和を祈り、平和のために行動し続けてきました。この間、東西冷戦も終わり、21世紀に入ってからは平和への期待が高まりました。しかし、それもつかの間、「9・11テロ事件」から世界は大きく変わりました。そして、日本もまた、平和憲法のもとに曲がりなりにも続けてきた方向を急速に転換し始めました。私たちは今、市民として、キリスト者として、教会として、重要な選択の岐路に立っています。本当にこの方向に突き進んで行っていいのでしょうか。この道は主イエスが命をかけて示してくださった「愛と平和へ至る道」なのでしょうか。平和旬間を迎えるにあたり、今一度主イエスの心に立ち返り、真の平和への道がどこにあるかを共に祈り求めていきたいと思います。

今こそ「時のしるし」を確認しましょう
日本政府は今明らかに一つの方向に突き進んでいます。最終的に自衛隊を正式な軍隊に変え、軍隊を海外にも派遣できる国になる方向です。この方向は、戦後日本が平和憲法の下に歩み始めた道と全く異なるものです。平和憲法を護るのか、棄てるのか、私たちは、今まさに選択を迫られているのです。
教皇訪日に際して当時の社会司教委員会は、『平和と現代の日本カトリック教会』と題するメッセージ(以下、『メッセージ』)を発表しましたが、その中で「憲法9条は時のしるし」(p.12)と明言しました。最近の有事関連法、イラク復興支援特別措置法など憲法の精神を逸脱する法律が矢継ぎ早に制定されていく状況の中で、わたしたちは改めて憲法9条を核とする平和憲法の中に見られる福音的な「時のしるし」を確認したいと思います。

(「償いと和解に至る道」としてのしるし)
第一は、「償いと和解に至る道」としてのしるしです。
日中戦争から太平洋戦争に至るまでの15年に及ぶ一連の戦争を振り返るとき、日本はアジア太平洋地域の多大な戦争犠牲者に対する責任があります。戦後補償をしなければならないことは当然ですが、これからは二度と戦争をせず、平和をつくることで、死者への償いを果たし続けなければなりません。『メッセージ』の中にも、「日本国憲法の前文を熟読する時、この憲法が、内外の多くの人の生命を奪った恐るべき前大戦の犠牲の中から生まれ出た最も貴重な宝、戦争の罪科と責任をつぐなう唯一の道である」(p.11)としています。ヒロシマの原爆慰霊碑にも、「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。原子爆弾という恐るべき無差別大量殺戮兵器を投下した直接の責任は米国にありますが、この碑の言葉は、日本も含めて戦争を起こし推進していった人類の過ちに連なるものとして、私たち自身が「過ちは繰り返さない」という決心を表しているのではないでしょうか。主イエスの十字架の犠牲が人類の罪の赦しと和解のためであったことを思うとき、日本が戦争を放棄し、アジアや世界の平和のために働き続けることこそが、償いを果たすことにつながり、同時に、傷ついた人間相互の関係を真の和解に導く道なのだと確信します。

(「真の平和をつくる道」としてのしるし)
第二は、「真の平和をつくる道」としてのしるしです。
ダグラス・ラミスという政治学者は、「20世紀に国家の交戦権によって殺された人間の数が約1億5千万人、その半分以上が自国民で自分の国家によって殺されています」と言っています。国家が武装し、戦争権を許したら安全だろうとは決して言えないのです。このことから分かるように、日本は、憲法9条を持つことによって、国を守ることを放棄したのではありません。戦力(軍隊)を持たないという方法で国を守り、武力行使をしないで国際紛争解決のために働くと誓ったのです。「戦争を放棄し、軍備を捨てた小さくない一つの国があると言うことは、世界平和にとって、世界平和建設にとってどれほど大きな貢献であるかはかりしれない」(『メッセージ』p.12)のです。
今、世界では、大国が武力によって平和を作り出そうとしています。そして日本もいつの間にかそれに加担しつつあります。しかし、軍事力が本当にお互いの平和をつくるのでしょうか。現在の日本の軍事化に対して、アジア諸国は警戒し、不信感を抱きつつあります。この不信感こそが争いの土壌となります。イエスの「剣をさやに納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)との言葉を重く受けとめ、剣ではない方法でお互いの信頼を醸成し、平和をつくっていくことこそ、何よりも福音が私たちに促している道です。

ある国の民間医療グループがイラクに駆けつけたとき、イラク市民が進んで彼らを守ったという事実が報告される一方、米国のイラク攻撃に真っ先に賛同した日本は、あくまで自衛隊派遣にこだわり、武器持参で自衛隊の制服を着た隊員を現地へ派遣しようとしています。このことは、「平和、国際貢献」と同じ言葉を使っても、異なった「道」があることを象徴的に示しています。日本は、その民間医療グループの選んだ「道」を歩むはずではなかったのでしょうか。
平和旬間を迎えるにあたり、私たちはこの現実の中でどの道を歩み、何をすべきなのかを示していただけるように、今一度心から主に祈り、決断と勇気を持って平和の使命を果たしていきましょう。

2003年7月25日

日本カトリック司教協議会
社会司教委員会
岡田武夫(委員長)
                            谷 大二
                            野村純一
                            池長 潤
                            松浦悟郎
                            宮原良治


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Are We Following the Right Path?
On the Occasion of the Peace Period, 2003.

In his 1981 visit to Hiroshima Pope John Paul II called for world peace and proclaimed, メWar is the work of man!モ In response to this the Bishops of Japan set aside a ten-day period from August 6 to the 15 as the so-called メpeace period.モ For the past 22 years, the Church of Japan has prayed and worked for peace. The Cold War ended and, as we entered the 21st Century, mankindユs hope for peace grew. But the September 11th terror attack brought about a tremendous change. And in Japan movement away from our peace constitution has accelerated. As citizens and as members of the Church standing at the crossroads of momentous change we ask, メDo we want to continue to push on in this direction?モ Are we following the road of メlove and peaceモ which Jesus Christ pointed out to us at the cost of his life? As we approach this yearユs メpeace periodモ we turn to the heart of our Lord Jesus Christ and ask again in our prayers: メLord, show us the road to true peace.モ

Now, right now, we have to discern メthe signs of our time.*
The Japanese government is clearly making an abrupt change of policy

Turing its back on peace the government would like to change the Self-Defense Forces into a standing army which can be dispatched abroad. This is a policy directly opposed to what the postwar peace constitution called for and to the policy that has been followed until now. At this very moment we are being pressed to decide whether we will maintain our peace constitution or throw it away.

The Episcopal Commission for Social Issues, at the time of the Popeユs visit to Japan, published a message: メPeace and the Present Catholic Church of Japanモ [hereafter the Message] declaring on page 12 that メArticle 9 of the constitution is a sign of our times.モ We would like to be reassured that Article 9 is still the core principle of our peace constitution and that it remains a メsign of our timesモ despite the frequency of recent legislation which deviates from that core; for example, the Emergency Measures Law and Special Aid for the Rehabilitation of Iraq.

A sign of our times: メthe way of compensation and reconciliation.モ
A most obvious sign of our times is メthe way of compensation and reconciliation.モ

Looking back at the series of wars during the fifteen-year period between the Sino-Japanese War and the Pacific War one realizes that Japan is responsible for a tremendous number of war victims in the Asia-Pacific Region. It was just and right that Japan made reparations after the war, but as compensation for its victims it must continue its pledge never to wage war again and to strive to bring about peace. The Message puts it this way, メA careful reading of the preamble of the Japanese constitution convinces us that this constitution is a very precious treasure of the war and the only way to offer compensation to the countless victims deprived of lives abroad and at home during the recent World War; it is the only means whereby, by assuming responsibility for the crime of war, we offer victims some compensation.モ (page 11) The cenotaph for the Hiroshima atomic bomb victims says, メLet all the souls here rest in peace, for we shall not repeat the evil.モ Although the U. S. is directly responsible for dropping the atomic bomb which caused such horrible, indiscriminate and extensive slaughter, does not the declaration expressed by the phrase, メノwe shall not repeat the evilモ apply to us because we also stand guilty of having promoted and waged war? The realization that Jesus Christ by the sacrifice of the cross brought mankind forgiveness and reconciliation convinces us that Japan by renouncing war and by continuing to work for peace in Asia and the world is making compensation for its past and at the same time opening a path to bring about sincere and mutual reconciliation with those it has injured.

Another sign: メthe road that leads to true peace.モ

The second sign of our times is the way or path that leads to true peace.

The political scientist Douglas Lummis has stated that, in the 20th Century, those killed in wars fought under the banner of メthe right of belligerencyモ number over 150 million, more than half the victims being the belligerent statesユ own citizens. Thus we cannot say that, just because a state is armed and has the right to go to war, it will always be safe. Nor did Japan abandon protection of itself when it adopted Article 9 of the constitution. By not having military power (an army) and by the pledge it made to work for the solution of international disputes without arms, Japan was protecting itself. As the Message states (page 12), メFor a country, even a small country, to renounce war, to give up arms, is a contribution to peace in the world, to constructing world peace, and this may be of incalculable value.モ

Now the major nations of the world hope to bring about peace by military power. And without realizing it Japan is being drawn into this current. But does military strength really bring about peace among nations? The countries of Asia are wary of Japanユs modern militarization; they harbor distrust. And this distrust breeds strife. Jesus said, メPut away your sword. Those who live by the sword will be destroyed by the sword.モ (Mt. 26:52) We should cherish these words. The path to peace which the Gospel urgently urges us to follow is not the way of the sword but rather a path which leads to a way whereby an atmosphere of mutual trust evolves.

It has been reported that, when a private-sector medical group of a foreign country went to Iraq, the citizens of Iraq went out of their way to protect them. But just before the U.S. attacked Iraq, Japan endorsed the attack. And now Japan plans to carry out its commitment to send arms-carrying uniformed Self-Defense forces there as well. Here we see two different approaches. The two groups both use the words, メpeace--international contribution.モ But each groupユs action symbolizes a different メway.モ Should not Japan be following the メwayモ of that private-sector medical group?

As we approach this yearユs peace period, let us turn to our Lord and pray from the bottom of our hearts once again that our Lord will point out the path we are to follow and that we will be granted the conviction and courage needed to carry out our mission of peace.

July 25, 2003

Catholic Bishops Council of Japan
Episcopal Commission for Social Issues
President: Archbishop Okada Takeo
Bishop Tani Daiji
Bishop Nomura Junichi
Archbishop Ikenaga Jun
Bishop Matsuura Gorou
Bishop Miyahara Ryoji


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2004年「日本カトリック平和旬間」メッセージ
子どもと向き合おう
〜平和をつくるために〜

兄弟姉妹の皆様

1981年、教皇ヨハネ・パウロ二世が広島で発表された平和アピールを受けて、翌年、日本の司教団は8月6日から15日の十日間を「日本カトリック平和旬間」と定めました 。<注1> その期間、すべての信者に平和のために祈り、学び、行動するよう呼びかけています。
近年の生命科学と生命操作技術の発展による「いのちの始まり」への科学の介入は人類に大きな課題を突き付けています。バチカンは早くからこの課題に対して反対の立場を表明し、日本の司教団もメッセージを発表しました 。<注2> 教会はクローン、出生前診断など子どものいのちを翻弄する事態について深く憂慮しています。
また最近、児童虐待、子どもの犯罪などが社会問題としてマスコミで大きく取り上げられています。また、日本の教会ではダブルの子どもたち<注3> 、外国籍の子どもたちが増えていますが、未就学、無国籍、いじめ、アイデンティティなどの問題を抱えている子どもが少なくありません。
平和は子どもたちのいのち、人権と深く結びついています。今年は日本が「子どもの権利に関する条約」を批准して、ちょうど十年になります。同条約を参考にして子どもたちをとりまくいくつかの状況について見ながら、わたしたち教会の役割を見直してみたいと思います。

6月、佐世保で起きた少女殺害事件は私たちに大きなショックを与えました。このような痛ましい事件が起こるたびに、私たち大人は当惑します。そしてあらためて子どもの心理や環境について社会的関心が集まっており、子どもに対する関係者の対応の仕方が問われています。私たちは子どもたちが発信している救いを求めるサインに気づくよう、さらに努力する必要があるのではないでしょうか。
児童虐待も深刻な問題で、児童相談所によせられた虐待相談件数は年間二万件を超え、十年前に比べると二十倍以上に増えています。虐待防止法が改正されましたが、「子どもの保護を拒む家庭への警察の立ち入り」を認めるかどうかなど次の改正に向けてすでに論議が始まっています。しかし、法整備をすればそれで解決するような問題ではありません。私たち一人ひとりも含めて、社会全体が子どもと真剣に向き合うことが大切です。

北朝鮮による日本人拉致問題が外交問題として議論の的になっています。拉致そのものは大きな人権侵害であり、私たちは拉致されたすべての人々が一刻も早く解放されることを願ってやみません。しかし、一方で、拉致問題などが世論で取り上げられるたびに、在日コリアン<注4> の子どもたちが服を切られるなど、嫌がらせや差別事件が起こっています。この子どもたちへの人権侵害の事実から私たちは目を背けるわけにはいきません。「子どもの権利に関する条約」第2条によって、彼らの権利を尊重し確保しなければならない政府や自治体が適切な措置を講ずることを切望します。
難民や超過滞在の移住者がある日突然、強制退去になる事態が頻発しています。その際、妻子と離れ離れになるケースも出ています。同条約9条によると「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する」ことになっています。それにもかかわらず親子が離されてしまう事態が増えていることが懸念されます。
今年、東京都で日の丸掲揚と君が代斉唱の際に、起立しなかった教職員が処分を受け、同様の行動をとった子どもたちも注意を受けました。「子どもの権利に関する条約」第12条では「子どもの意見表明権」、第13条では「表現の自由」、第14条では「思想・良心・宗教の自由」について謳われています。今回の東京都の対応は子どもたちへの不当な圧力であり、管理の締め付け、人権の侵害だと言えます。日の丸・君が代の強制はダブルの子どもたちや外国籍の子どもたちのアイデンティティにもかかわること(同条約8条)であり、教室内で分裂を起こしかねない重大な問題です。

目を世界に向けてみると、中東での戦争で二千万人もの子どもたちが難民となっています。紛争地域では兵士として働かされる子どもも増えています。南北問題がイラク戦争、テロとの戦争の根底に横たわっています。南北の経済格差は子どもたちの貧困、飢餓、人身売買、性的搾取などの原因にもなっています。しかし、ある国々は南北の格差を縮める努力をするよりも、既得権益の確保のためには武力の行使さえしています。この文脈のなかで、日本政府は有事関連七法案を成立させ、有事関連三条約を批准し、自衛隊は多国籍軍に参加するなどの既成事実を積み重ねて軍隊としての顔を持つようになり、あとは憲法9条を変えれば、日本は戦争の出来る国になります。あらゆる戦争は「女性と子どもへの戦争」でもあり、最大の犠牲を強いられるのは、女性と子どもたちです。このような時こそ平和憲法を堅持しなければなりません。

「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。』」(マルコ10,13-14)
イエスは一人の子どもの手を取って弟子たちの真ん中に立たせ、抱き上げて言われました。「私の名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。」(マルコ9,37)
イエスは子どもたちを排除しようとする者に対して憤り、排除するのではなく、むしろ、子どもたちと真剣に向き合い、彼らの意見やサインを受け入れ、子どもたちから学ぶことを教えておられます。
翻って私たち自身を見直してみましょう。私たちは子どもと真剣に向き合い、子どもたちの意見やサインを受け入れ、子どもたちから学ぼうとしているでしょうか。子どもたちの自由や意見表明権を尊重しているでしょうか。ミサで、子どもを排除せず、子どもたちの参加する権利を認めているでしょうか。教会や地域の子どもたち、特にダブルの子どもたち、難民、移住者の子どもたちは教育を受ける権利を保障されているでしょうか。まず、こうした自分たちの足元から見直してみましょう。
そして大人の見方ではなく、むしろ子どもたちの視点から世界の現実に目を向けてみる必要があるのではないでしょうか。子どもたちの声に耳を傾け、子どもたちの視点に立って、子どもたちの育つ環境を見直し、世界を見直してみましょう。私たち一人ひとりが見方を変えて自らを解放していくことが、大人にとっても暮らし易い、平和な世界を作り上げていくことになるのです。
平和旬間に「子どもの権利に関する条約」をもう一度読み直し、家庭や教会、そして地域で身近な子どもたちの声を聞き、私たちに何ができるか話し合い、子どもたちと共に祈り、行動することができればと願っています。そして、今、犠牲になっている世界の子どもたちの幸せを神に祈り、子どもたちが幸せに育つことができる世界になるよう、共に声をあげ、行動していきましょう。
2004年8月 平和旬間 

日本カトリック司教協議会       
  社会司教委員会      
委員長  高見三明大司教
委 員  谷 大二 司教
委 員  松浦悟郎 司教
委 員  宮原良治 司教
委 員  菊地功被選司教

<注1>1982年度定例司教総会の決議。 
<注2>要望書「いのちをその始まりから大切にしてください」1999.2.19 日本カトリック司教協議会。「クローン人間の研究に関する日本カトリック教会の見解」1997.5.3 日本カトリック司教協議会常任委員会。
<注3>国際結婚などで生まれた子どもをハーフと呼ぶことが一般的でした。しかし、これは血統主義的な見方から生まれた言葉です。文化という面からは親が異なる二つの文化を持ち、その二つの文化のなかで育つ子どもという意味で「ダブルの子どもたち」と表現しました。したがって、国際結婚による子どもだけでなく、広い範囲の子どもを含みます。
<注4> 在日韓国朝鮮人と呼ぶことが一般的ですが、この呼び方は政治的な色彩の強い表現です。日本に住む彼らのアイデンティティを考慮し、「在日コリアン」と表現しました。
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(参考資料)


子どもの権利に関する条約  条文1〜40条(抜粋)
 第一条 子どもの定義
 この条約の適用上、子どもとは、一八歳未満のすべての者をいう。ただし、子どもに適用される法律の下でより早く成年に達する場合は、この限りではない。
 第二条 差別の禁止
 1.締結国は、その管轄内にある子ども一人ひとりに対して、子どもまたは親もしくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、民族的もしくは社会的出身、財産、障害、出生またはその他の地位にかかわらずいかなる種類の差別もなしに、この条約に掲げる権利を尊重しかつ確保する。
 2.締結国は、子どもが、親、法定保護者または家族構成員の地位、活動、表明した意見または信条を根拠とするあらゆる形態の差別または処罰からも保護されることを確保するために、あらゆる適当な措置をとる。
 第三条 子どもの最善の利益
 1.子どもにかかわるすべての活動において、その活動が公的もしくは私的な社会福祉機関、裁判所、行政機関または立法機関によってなされたかどうかにかかわらず、子どもの最善の利益が第一次的に考慮される。
 2.締約国は、親、法的保護者または子どもに法的な責任を負う他の者の権利および義務を考慮しつつ、子どもに対してその福祉に必要な保護およびケアを確保することを約束し、この目的のために、あらゆる適当な立法上および行政上の措置をとる。
 3.締約国は、子どものケアまたは保護に責任を負う機関、サービスおよび施設が、とくに安全および健康の領域、職員の数および適格性、ならびに職員の権限ある監督について権限ある機関により設定された基準に従うことを確保する。
 第四条 締約国の実施義務
 締約国は、この条約において認められる権利の実施のためのあらゆる適当な立法上、行政上およびその他の措置をとる。経済的、社会的および文化的権利に関して、締約国は、自国の利用可能な手段を最大限に用いることにより、および必要な場合には国際協力の枠組の中でこれらの措置をとる。
 第五条 親の指導の尊重
 締約国は、親、または適当な場合には、地方的慣習で定められている拡大家族もしくは共同体の構成員、法定保護者もしくは子どもに法的な責任を負う他の者が、この条約において認められる権利を子どもが行使するにあたって、子どもの能力の発達と一致する方法で適当な指示および指導を行う責任、権利および義務を尊重する。
 第六条 生命への権利、生存・発達の確保
 1.締約国は、すべての子どもが生命への固有の権利を有することを認める。
 2.締約国は、子どもの生存および発達を可能なかぎり最大限に確保する。
 第七条 名前・国籍を得る権利、親を知り養育される権利
 1.子どもは、出生の後直ちに登録される。子どもは、出生の時から名前をもつ権利および国籍を取得する権利を有し、かつできるかぎりその親を知る権利および親によって養育される権利を有する。
 2.締約国は、とくに何らかの措置をとらなければ子どもが無国籍になる場合、国内法および当該分野の関連する国際文書にもとづく自国の義務に従い、これらの権利の実施を確保する。
 第八条 アイデンティティの保全
 1.締約国は、子どもが、不法な干渉なしに、法によって認められた国籍、名前および家族関係を含むアイデンティティを保全する権利を尊重することを約束する。
 2.締約国は、子どもがアイデンティティの要素の一部または全部を違法に剥奪される場合には、迅速にアイデンティティを回復させるために適当な援助および保護を与える。
 第九条 親からの分離禁止と分離のための手続
 1.締約国は、子どもが親の意思に反して親から分離されないことを確保する。ただし、司法審査に服する権限ある機関が、適用可能な法律および手続に従い、このような分離が子どもの最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りではない。当該決定は、親によって子どもが虐待もしくは放任される場合、または親が別れて生活し子どもの居所が決定されなければならない場合などに特別に必要になる。
 2.1にもとづくいかなる手続においても、すべての利害関係者は、当該手続に参加し、かつ自己の見解を周知させる機会が与えられる。
 3.締約国は、親の一方または双方から分離されている子どもが、子どもの最善の利益に反しないかぎり、定期的に親双方との個人的関係および直接の接触を保つ権利を尊重する。
 4.このような分離が、親の一方ねしくは双方または子どもの抑留、拘禁、流刑、追放または死亡(国家による拘束中になんらかの理由から生じた死亡も含む)など締約国によってとられた行為から生じる場合には、締約国は申請にもとづいて、親、子ども、または適当な場合には家族の他の構成員に対して、家族の不在者の所在に関する不可欠な情報を提供する。ただし、情報の提供が子どもの福祉を害する場合は、この限りではない。締約国は、さらに、当該申請の提出自体が関係者にいかなる不利な結果ももたらさないことを確保する。
第一〇条 家族再会のための出入国
 1.家族再会を目的とする子どもまたは親の出入国の申請は、第九条1にもとづく締約国の義務に従い、締約国によって積極的、人道的および迅速な方法で取扱われる。締約国は、さらに、当該申請の提出が申請者および家族の構成員にいかなる不利な結果ももたらさないことを確保する。
 2.異なる国々に居住する親をもつ子どもは、例外的な状況を除き、定期的に親双方との個人的関係および直接の接触を保つ権利を有する。締約国は、この目的のため、第九条2にもとづく締約国の義務に従い、子どもおよび親が自国を含むいずれの国からも離れ、自国へ戻る権利を尊重する。いずれの国からも離れる権利は、法律で定める制限であって、国の安全、公の秩序、公衆の健康もしくは道徳または他の者の権利および自由の保護のために必要とされ、かつ、この条約において認められる他の権利と抵触しない制限のみに服する。
第一一条 国外不法移送・不返還の防止
 1.締約国は、子どもの国外不法移送および不返還と闘うための措置をとる。
 2.この目的のため、締約国は、二国間もしくは多数国間の協定の締結または現行の協定への加入を促進する
第一二条 意見表明権
 1.締約国は、自己の見解をまとめる力のある子どもに対して、その子どもに影響を与えるすべての事柄について自由に自己の見解を表明する権利を保障する。その際、子どもの見解が、その年齢および成熟に従い、正当に重視される。
 2.この目的のため、子どもは、とくに、国内法の手続規則と一致する方法で、自己に影響を与えるいかなる司法的および行政的手続においても、直接的にまたは代理人もしくは適当な団体を通じて聴聞される機会を与えられる。
第一三条 表現・情報の自由
 1.子どもは表現の自由への権利を有する。この権利は、国境にかかわりなく、口頭、手書きもしくは印刷、芸術の形態または子どもが選択する他の方法により、あらゆる種類の情報および考えを求め、受け、かつ伝える自由を含む。
 2.この権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ次の目的のために必要とされるものに限る。
  (a)他の者の権利または信用の尊重
  (b)国の安全、公の秩序または公衆の健康もしくは道徳の保護
第一四条 思想・良心・宗教の自由
 1.締約国は、子どもの思想、良心および宗教の自由への権利を尊重する。
 2.締約国は親および適当な場合には法定保護者が、子どもが自己の権利を行使するにあたって、子どもの能力の発達と一致する方法で子どもに指示を与える権利および義務を尊重する。
 3.宗教または信念を表明する自由については、法律で定める制限であって、公共の安全、公の秩序、公衆の健康もしくは道徳または他の者の基本的な権利および自由を保護するために必要な制限のみを課することができる。
第一五条 結社・集会の自由
 1.締約国は、子どもの結社の自由および平和的な集会の自由への権利を認める。
 2.これらの権利の行使については、法律に従って課される制限であって、国の安全もしくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康もしくは道徳の保護、または他の者の権利および自由の保護のために民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。
第一六条 プライバシィ・通信・名誉の保護
 1.いかなる子どもも、プライバシィ、家族、住居もしくは通信を恣意的にもしくは不法に干渉されず、かつ、名誉および信用を不法に攻撃されない。
 2.子どもは、このような干渉または攻撃に対する法律の保護を受ける権利を有する。
第一七条 マスメディアへのアクセス
 1.締約国は、マスメディアの果たす重要な機能を認め、かつ、子どもが多様な国内的および国際的な情報源からの情報および資料、とくに自己の社会的、精神的および道徳的福祉ならびに心身の健康の促進を目的とした情報および資料へアクセスすることを確保する。
(略)
第一八条 親の第一次的養育責任と国の援助
 1.締約国は、親双方が子どもの養育および発達に対する共通の責任を有するという原則の承認を確保するために最善の努力を払う。親または場合によっては法定保護者は、子どもの教育および発達に対する第一次的責任を有する。子どもの最善の利益が、親または法定保護者の基本関心となる。
 2.この条約に掲げる権利の保障および促進のために、締約国は、親および法定保護者が子どもの養育責任を果たすにあたって適当な援助を与え、かつ、子どものケアのための機関、施設およびサービスの発展を確保する。
 3.締約国は、働く親をもつ子どもが、受ける資格のある保育のサービスおよび施設から利益を得る権利を有することを確保するためにあらゆる適当な措置をとる。
第一九条 親による虐待・放任・搾取からの保護
 1.締約国は、(両)親、法定保護者または子どもの養育をする他の者による子どもの養育中に、あらゆる形態の身体的もしくは精神的な暴力、侵害または虐待、放任または怠慢な取扱い、性的虐待を含む不当な取扱いまたは搾取から子どもを保護するために、あらゆる適当な立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとる。
 2.当該保護措置は、適当な場合には、子どもおよび子どもの養育をする者に必要な援助を与える社会計画の確立のため、ならびに、その他の形態の予防のため、上記の子どもの不当な取扱いについての実例の認定、報告、照会、調査、処理および追跡調査のため、および適当な場合には、司法的関与のための効果的な手続を含む。
第二〇条 家庭環境を奪われた子どもの養護
 1.一時的もしくは恒常的に家庭環境を奪われた子ども、または、子どもの最善の利益に従えばその環境にとどまることが容認されえない子どもは、国によって与えられる特別な保護および援助を受ける資格を有する。
 2.締約国は、国内法に従い、このような子どものための代替的養護を確保する。
 3.当該養護には、とりわけ、里親託置、イスラム法のカファラ、養子縁組、または必要な場合には子どもの養護に適した施設での措置を含むことができる。解決策を検討する時には、子どもの養育に継続性が望まれることに対して、ならびに子どもの民族的、宗教的、文化的および言語的背景に対して正当な考慮を払う。
第二一条 養子縁組
 養子縁組の制度を承認および許容している締約国は、子どもの最善の利益が最高の考慮事項であることを確保し、次のことをする。
(略)
第二二条 難民の子どもの保護・援助
 1.締約国は、難民の地位を得ようとする子ども、または、適用可能な国際法および国際手続きまたは国内法および国内手続きに従って難民とみなされる子どもが、親または他の者の同伴の有無にかかわらず、この条約および自国が締約国となっている他の国際人権文書または国際人道文書に掲げられた適用可能な権利を享受するにあたって、適当な保護および人道的な援助を受けることを確保するために適当な措置をとる。
 2.この目的のため、締約国は、適当と認める場合、国際連合および国際連合と協力関係にある他の権限ある政府間組織または非政府機関組織が、このような子どもを保護しかつ援助するためのいかなる努力にも、および、家族との再会に必要な情報を得るために難民たる子どもの親または家族の他の構成員を追跡するためのいかなる努力にも、協力をする。親または家族の他の構成員を見つけることができない場合には、子どもは、何らかの理由により恒常的にまたは一時的に家庭環境を奪われた子どもと同一の、この条約に掲げられた保護が与えられる。
第二三条 障害児の権利
 1.締約国は、精神的または身体的に障害を負う子どもが、尊厳を確保し、自立を促進し、かつ地域社会への積極的な参加を助長する条件の下で、十分かつ人間に値する生活を享受すべきであることを認める。
 2.締約国は、障害児の特別なケアへの権利を認め、かつ、利用可能な手段の下で、資格ある子どもおよび子どもの養育に責任を負うものに対して、申請にもとづく援助であって、子どもの条件および親または子どもを養育する他の者の状況に適した援助の拡充を奨励しかつ確保する。
 3.障害児の特別なニーズを認め、2に従い拡充された援助は、親または子どもを養育する他の者の財源を考慮しつつ、可能な場合にはいつでも、無償で与えられる。その援助は、障害児が可能なかぎり全面的な社会的統合ならびに文化的および精神的発達を含む個人の発達を達成することに貢献する方法で、教育、訓練、保健サービス、リハビリテーションサービス、雇用準備およびレクリエーションの機会に効果的にアクセスしかつそれらを享受することを確保することを目的とする。
 4.締約国は、国際協力の精神の下で、障害児の予防保険ならびに医学的、心理学的および機能的治療の分野における適当な情報交換を促進する。その中には締約国が当該分野においてその能力および技術を向上させ、かつ経験を拡大することを可能にするために、リハビリテーション教育および職業上のサービスの方法に関する情報の普及およびそれへのアクセスが含まれる。この点については、発展途上国のニーズに特別な考慮を払う。
第二四条 健康・医療への権利
 1.締約国は、到達可能な最高水準の健康の享受ならびに疾病の治療およびリハビリテーション上の便宜に対する子どもの権利を認める。締約国は、いかなる子どもも当該保険サービスへアクセスする権利が奪われないことを確保するよう努める。
 2.締約国は、この権利の完全な実施を追求し、とくに次の適当な措置をとる。
(略)
第二五条 医療施設等に措置された子どもの定期的審査
 締約国は、身体的もしくは精神的な健康のケア保護または治療のために権限のある機関によって措置されている子どもが、自己になされた治療についておよび自己の措置に関する他のあらゆる状況についての定期的審査を受ける権利を有することを認める。
第二六条 社会保障への権利
 1.締約国は、すべての子どもに対して社会保険を含む社会保障を享受する権利を認め、かつ、国内法に従いこの権利の完全な実現を達成するために必要な措置をとる。
 2.当該給付については、適当な場合には、子どもおよびその扶養に責任を有している者の資格および状況を考慮し、かつ、子どもによってまたは子どもに代わってなされた給付の申請に関する他のすべてを考慮しつつ行う。
第二七条 生活水準への権利
 1.締約国は、身体的、心理的、精神的、道徳的および社会的発達のために十分な生活水準に対するすべての子どもの権利を認める。
 2.(両)親または子どもに責任を負う他の者は、その能力および資力の範囲で、子どもの発達に必要な生活条件を確保する第一次的な責任を負う。
 3.締約国は、国内条件に従いかつ財源内において、この権利の実現のために、親および子どもに責任を負う他の者を援助するための適当な措置をとり、かつ必要な場合には、とくに栄養、衣服および住居に関して物的援助およびかつ援助計画を行う。
 4.締約国は、親または子どもに財政的な責任を有している他の者から、自国内においてもおよび外国からでも子どもの扶養料を回復することを確保するためにあらゆる適当な措置をとる。とくに、子どもに財政的な責任を有している者が子どもと異なる国に居住している場合には、締約国は、国際協定への加入または締結ならびに他の適当な取り決めの作成を促進する。
第二八条 教育への権利
 1.締約国は、子どもの教育への権利を認め、かつ、漸進的におよび平等な機会にもとづいてこの権利を達成するために、とくに次のことをする。
   (a)初等教育を義務的なものとし、かつすべての者に対して無償とすること。
   (b)一般教育および職業教育を含む種々の形態の中等教育の発展を奨励し、すべての子どもが利用可能でありかつアクセスできるようにし、ならびに、無償教育の導入および必要な場合には財政的援助の提供などの適当な措置をとること。
   (c)高等教育を、すべての適当な方法により、能力にもとづいてすべての者がアクセスできるものとすること。
   (d)教育上および職業上の情報、ならびに指導を、すべての子どもが利用可能でありかつアクセスできるものとすること。
   (e)学校への定期的な出席および中途退学率の減少を奨励するための措置をとること。
 2.締約国は、学校懲戒が子どもの人間の尊厳と一致する方法で、かつこの条約の精神に従って行われることを確保するためにあらゆる適当な措置をとる。
 3.締約国は、とくに、世界中の無知および非識字の根絶に貢献するために、かつ科学的および技術的知識ならびに最新の教育方法へのアクセスを助長するために、教育に関する問題について国際協力を促進しかつ奨励する。この点については、発展途上国のニーズに特別の考慮を払う。
第二九条 教育の目的
 1.締約国は、子どもの教育が次の目的で行われることに同意する。
   (a)子どもの人格、才能ならびに精神的および身体的能力を最大限可能なまで発達させること。
   (b)人権および基本的自由の尊重ならびに国際連合憲章に定める諸原則の尊重を発展させること。
   (c)子どもの親、子ども自身の文化的同一性、言語および価値の尊重、子どもが居住している国および子どもの出身国の国民的価値の尊重、ならびに自己の文明と異なる文明の尊重を発展させること。
   (d)すべての諸人民間、民族的、国民的および宗教的集団間ならびに先住民間の理解、平和、寛容、性の平等および友好の精神の下で、子どもが自由な社会において責任ある生活を送れるようにすること。
   (e)自然環境の尊重を発展させること。
 2.この条件または第二十八条のいかなる規定も、個人および団体が教育機関を設置しかつ管理する自由を妨げるものと解してはならない。ただし、つねに、この条の1に定める原則が遵守されること、および当該教育機関において行われる教育が国によって定められる最低限度の基準に適合することを条件とする。
第三〇条 少数者・先住民の子どもの権利
 民族上、宗教上もしくは言語上の少数者、または先住民が生存する国においては、当該少数者または先住民に属する子どもは自己の集団の他の構成員とともに、自己の文化を享受し、自己の宗教を信仰しかつ実践し、または自己の言語を使用する権利を否定されない。
第三一条 休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加
 1.締約国は、子どもが、休息しかつ余暇をもつ権利、その年齢にふさわしい遊びおよびレクリエーション的活動を行う権利ならびに文化的生活および芸術に自由に参加する権利を認める。
 2.締約国は、こどもが文化的および芸術的生活に十分に参加する権利を尊重しかつ促進し、ならびに、文化的、芸術的、レクリエーション的および余暇的活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。
第三二条 経済的搾取・有害労働からの保護
 1.締約国は、子どもが、経済的搾取から保護される権利、および、危険があり、その教育を妨げ、あるいはその健康または身体的、心理的、精神的、道徳的もしくは社会的発達にとって有害となるおそれのあるいかなる労働に就くことからも保護される権利を認める。
 2.締約国は、この条の実施を確保するための立法上、行政上、社会上および教育上の措置をとる。締約国は、この目的のため、他の国際文書の関連条項に留意しつつ、とくに次のことをする。
   (a)最低就業年齢を規定すること。
   (b)雇用時間および雇用条件についての適当な規則を定めること。
   (c)この条の効果的実施を確保するための適当な罰則または他の制裁措置を規定すること。
第三三条 麻薬・向精神薬からの保護
 締約国は、関連する国際条約に明示された麻薬および向精神薬の不法な使用から子どもを保護しかつ、このような物質の不法な生産および取引に子どもを利用させないために、立法上、行政上、社会上および教育上の措置を含むあらゆる適当な措置をとる。
第三四条 性的搾取からの保護
 締約国は、あらゆる形態の性的搾取および性的虐待から子どもを保護することを約束する。これらの目的のため、締約国は、とくに次のことを防止するためのあらゆる適当な国内、二国間および多数国間の措置をとる。
   (a)何らかの不法な性的行為に従事するよう子どもを勧誘または強制すること。
   (b)売春または他の不法な性的行為に子どもを搾取的に使用すること。
   (c)ポルノ的な実演または題材に子どもを搾取的に使用すること。
第三五条 誘拐・売買・取引の防止
 締約国は、いかなる目的またはいかなる形態を問わず子どもの誘拐、売春または取引を防止するためにあらゆる適当な国内、二国間および多数国間の措置をとる。
第三六条 他のあらゆる形態の搾取からの保護
  締約国は、子どもの福祉のいかなる側面にとっても有害となる他のあらゆる形態の搾取から子どもを保護する。
第三七条 死刑・拷問等の禁止、自由を奪われた子どもの適正な取扱い
 締約国は、次のことを確保する。
   (a)いかなる子どもも、拷問または他の残虐な非人道的なもしくは品位を傷つける取扱いもしくは刑罰を受けない。一八歳未満の者が犯した処罰に対して、死刑および釈放の可能性のない終身刑を科してはならない。
   (b)いかなる子どもも自由を不当にまたは恣意的に奪われない。子どもの逮捕、抑留または拘禁は、法律に従うものとし、最後の手段として、かつ最も短い適当な期間でのみ用いられる。
   (c)自由を奪われたすべての子どもは、人道的におよび人間の固有の尊厳を尊重して取扱われ、かつ、その年齢にもとづくニーズを考慮した方法で取扱われる。とくに、自由を奪われたすべての子どもは、子どもの最善の利益に従えば成人から分離すべきでないと判断される場合を除き、成人から分離されるものとし、かつ、特別の事情のある場合を除き、通信および面会によって家族との接触を保つ権利を有する。
   (d)自由を奪われたすべての子どもは、法的および他の適当な援助に速やかにアクセスする権利、ならびに、その自由の剥奪の合法性を裁判所または他の権限ある独立のかつ公平な機関において争い、かつ当該訴えに対する迅速な決定を求める権利を有する。
第三八条 武力紛争における子どもの保護
 1.締約国は、子どもをまき込んでいる武力紛争において、締約国に適用可能な国際人道法の規則を尊重し、かつその尊重を確保することを約束する。
 2.締約国は、一五歳に満たない者が敵対行為に直接参加しないことを確保するためのあらゆる可能な措置をとる。
 3.締約国は、一五歳に満たないいかなる者も軍隊に徴募することを差し控える。締約国は、一五歳に達しているが一八歳に満たない者の中から徴募を行うにあたっては、最年長の者を優先するよう努める。
 4.締約国は、武力紛争下における文民の保護のための国際人道法にもとづく義務に従い、武力紛争の影響を受ける子どもの保護およびケアを確保するためのあらゆる可能な措置をとる。
第三九条 犠牲になった子どもの心身の回復と社会復帰
 締約国は、あらゆる形態の放任、搾取または虐待の犠牲になった子ども、拷問、または他のあらゆる形態の残虐な、非人道的なもしくは品位を傷つける取扱いもしくは刑罰の犠牲になった子どもあるいは、武力紛争の犠牲になった子どもが身体的および心理的回復ならびに社会復帰をすることを促進するためにあらゆる適当な措置をとる。当該回復および復帰は、子どもの健康、自尊心および尊厳を育む環境の中で行われる。
第四〇条 少年司法
 1.締約国は、刑法に違反したとして申し立てられ、罪を問われ、または認定された子どもが、尊厳および価値についての意識を促進するのにふさわしい方法で取扱われる権利を認める。当該方法は、他の者の人権および基本的自由の尊重を強化するものであり、ならびに、子どもの年齢、および子どもが社会復帰し、かつ社会において建設的な役割を果たすことの促進が望ましいことを考慮するものである。
 2.締約国は、この目的のため、国際文書の関連する条項に留意しつつ、とくに次のことを確保する。
(略)
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