- 「これは、先の監訳書『いのち・開発・NGO』(新評論)、編著書『学び・未来・NGO』(新評論)につぐもので、私自身も一章直接執筆し、「憲法第九条の『輸出』」というテーマで先日(5月8日)書き終えたところです。私の長年の想いを一気に書き上げたものです」。
- といわれる池住義憲さんより許可をいただいて以下転載します。
- 今年7月中頃に『平和・人権・NGO』(新評論) 出版予定
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- (copyright 池住義憲 2003)
- 以下は 第5章『第九条の輸出』(池住義憲)草稿のなかの「はじめに」の部分、第2節2〜3項の部分、「おわりに」の部分を転載。
- 『平和・人権・NGO』(新評論) 出版予定
- 第5章 憲法第九条の「輸出」 (草稿)
- はじめに
- 「米国による武力行使の開始を理解し、支持する」。これは小泉純一郎首相の言葉だ。2003年3月20日、ブッシュ米大統領が「イラクを武装解除し、国民を解放する」と言って米英軍主導によるイラク攻撃を開始したちょうど一時間後に小泉首相は記者会見でこう述べた。侵略戦争を否定し、いかなる国際紛争であっても決して武力による威嚇や武力の行使をしない、戦争は永久に放棄する、と謳った憲法第九条を持つ国の首相の言葉だ。
米英軍のイラク軍事攻撃は、国家が単独で武力行使することを禁じた国連憲章に違反する。「国際の安全と平和について脅威がある」と安保理が認めた決議もないし、国家や国民が急迫不正な武力攻撃を受けた場合にやむを得ず武力を行使するという自衛の場合にも該当しない。他国を先制攻撃した国は国際社会が許さないという世界的な集団安全保障の仕組みそのものの否定だ。今回の米英軍によるイラク軍事攻撃は重大な国際法違反である。他国(イラク)政権の同意にもとづかずに何の正当性もなしに領土を侵す武力行使は「侵略」である。イラクの主権侵害、民族自決権の否定、内政干渉である。さらに武力行使の中身も国際法違反だ。劣化ウラン弾やクラスター爆弾(集束爆弾)、デージーカッター(燃料気化爆弾)などの使用により二千人をはるかに超えるイラク民間人を死亡させたことは、民間人攻撃を禁じた交戦法規であるジュネーヴ協定に違反する。「人道に対する罪」である。国際刑事裁判所の規程にある戦争犯罪に該当する。
今回の米英軍のイラク軍事侵略攻撃だけに限らず、では憲法第九条を持つ日本は、どうすべきであったのか。過去30年間、私がNGO活動を通してアジアの人たちと出会って最後にたどり着いた答えは、日本国憲法第九条を世界のすべての国に「輸出」することである。日本憲法の第九条を「世界化」することは私たちの責任である。
戦争で平和は創れない。絶対に創れない。戦争でもたらされるのは、殺戮と破壊と憎悪だけだ。正義の戦争などあり得ない。どんな状況であっても戦争はダメだ。私たちはこのことを20世紀の百年間で多くの犠牲を払いながら学んだではないか。これから必要なのは、憲法第九条の「輸出」なのだ。
本章は、はじめに憲法第九条の成り立ちとその意味、とくにアジアにおける、いや世界における意味を振り返る。次にそうした憲法第九条に対する日本政府の最近の姿勢はどうなのかを見てみよう。そしてこれからの日本の役割として、憲法第九条の「輸出」についての想いと具体的な取り組みのいくつかを見てみよう。軍隊を持たないことを明記したコスタリカ憲法と平和外交、ハーグ平和市民アピール会議での「第九条を世界に!」アピール、第九条の会オーバビーさんの「地球憲法第九条」提案、米下院議員デニス・クシニッチ氏が提唱する「平和省」構想、日本のNGOの取り組みなどを紹介する。
- 1.「不戦の約束証文」としての日本国憲法第九条
1)第九条にいたる五十一年の重み
2)第九条誕生までの国際的流れ
3)憲法第九条の意義
4)「非武装・非軍事」規定の意味
5)空洞化していく「非武装・非軍事」規定
- 2.第九条に対する日本政府の動き
1)政府の第九条解釈
2)有事法制と憲法第九条
3)立憲主義を踏みにじる有事法制
4)憲法「改正」の動き――憲法調査会
- 3.憲法第九条の「輸出」
1)コスタリカ憲法と平和積極外交
2)ハーグ平和市民アピール会議での「第九条を世界に!」決議
3)地球憲法第九条――オーバビーさんの「第九条の会」
4)新生イラク憲法に「第九条」が!?
5)各国に「平和省」の創設を!――グローバルピースキャンペーン
6)市民の手による平和づくり――NGO非戦ネットの呼びかけ
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- 第5章『第九条の輸出』(池住義憲)草稿のなかで、第2節2〜3項の部分)
- 有事法制と憲法第九条
二〇〇二年の二つの国会(通常国会と秋の臨時国会)で阻まれた有事関連法案が息を吹き返した。日本が武力攻撃を「受けた」場合や、その「恐れ」があったり武力攻撃が「予測」される場合の対処の枠組みを定める「武力攻撃事態対処法案」、有事の際に自衛隊が円滑に行動できるようにするための「自衛隊法改正案」、安全保障会議の機能強化のための「安全保障会議設置法改正案」の三法案で、いずれも継続審議となっていたものだ。しかし、翌二〇〇三年四月に与党が修正案を出し、これに民主党や自由党が対案を出すというかたちで衆議院特別委員会での審議が始まってしまった。
有事法制は一九七七年、福田内閣のもとで立法化を前提としない研究がスタートし、防衛庁は一九八一年と八四年にその結果を公表した。以後、有事法制は棚上げされてきたが、小泉首相は二〇〇一年九月の米国で起きた九・一一事件や二〇〇二年末の日本海での武装不審船事件などを踏まえて、「備えあれば憂い無し」のスローガンのもとに、歴代内閣として初めて有事法制策定に着手した。有事法制の詳細内容はここでは省略するが、これはどうみても憲法違反だ。憲法は、基本的人権を「一時停止してもよい」「多少は制限されてもよい」などとはどこにも書いていない。有事法制下では、市民の言論・出版・情報収集および集会・結社・デモ行進・旅行などの自由が制限される。陣地構築など自衛隊の「円滑」な活動のためには居住・移転・営業の自由や所有権も制限される。こうした基本的人権は、その時々の政府から「与え」られたり「認め」られたりするものではない。日本国憲法が保障しているものなのだ。
第九条は、「時と場合によっては戦争してもよい」などとはどこにも書いていない。有事法制は、さきに成立した周辺事態法(一九九九年)とあいまって、米国がアジア太平洋地域で起こす先制攻撃の戦争に、自衛隊だけでなく地方自治体や民間企業・機関も戦争に協力・加担することを実質的に強制する。一八九四年の日清戦争から一九四五年の敗戦までの五十一年間の重みはどこへ行ってしまったのか。そのようするのであれば、憲法を改正しなければならない。憲法を改正するには衆参両院で三分の二以上の賛成で国会が憲法改正案を発議し、それを国民投票において過半数の賛成を得なければならない。わずか衆参両院で過半数の賛成を得て成立する有事法制が、上位法である憲法を否定するそうした法制・法律は、その存在そのものが憲法違反だ。有事法制によって政府は憲法を停止させることになり、有事法制が「憲法」になってしまう。これはどう考えてもおかしい。こんなことを許してはダメだ。
- 立憲主義を踏みにじる有事法制
- 日本国憲法は、非武装・非軍事の立憲主義、平和主義をとっている。立憲主義とは、憲法によって個人の尊厳を保障する原理であり、憲法によって国家に権力を授け、同時にその国家権力を制限することによって個人の自由や基本的人権を保障するという考え方だ。別の言い方をすれば、国家は憲法上認められた権力だけを行使しうるというのが立憲主義の基本原則である。現憲法では、たとえ国家が戦争、内乱、大規模災害などの非常事態にさいしても、政府や首相に強大な権限を集中したり、国民の自由や権利を一時停止したりする「国家緊急権」を与えていない。憲法には緊急事態が生じたときの対応を定めた箇所が一箇所だけある。憲法第五四条第二項だ。そこには「衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」とある。たとえ国に緊急事態が生じた時であっても、日本の憲法は首相に権力を集中させないということを選びとったのである。議会を軽視・無視して議会制民主主義を形骸化させるようなことはしない、ということを日本は選びとっているのである。これを忘れてはいけない。有事法制は、非常時における権力の例外的発動を許す制度のことだ。つまり「戦時」に基本的人権を制限し、権力を集中して国家が非常措置をとるという、憲法一時停止の仕組みだ。これは憲法の明文の根拠がなければ出来ないことだ。日本国憲法は戦時または国家事変の際に元首あるいは政府に与えられる国家緊急権をどこにも規定していない。そかわりに、戦争放棄・絶対禁止の第九条を備えているのだ。「有事法制」作りなど、憲法ではもともと許されていない。
戦争放棄および軍備と交戦権の否認を謳っている憲法第九条と、戦時(有事)を想定した有事法制とは相容れない。有事法制は憲法の平和主義、不戦の約束証文としての第九条を決定的に空洞化させる。米国の先制攻撃への参戦に道を開く有事法制は、絶対に許してはならない。認めてはならない。憲法違反で非合法な法律(有事法制)には市民的不服従で立ち向かい続ける必要がある。憲法第九条を「盾」にして。ドイツは、戦争非協力者の思想・良心の自由を保障している。ドイツ憲法第四条第三項では「何人も、その良心に反して、戦争の役務を強制されてはならない」と規定して、良心的兵役拒否を基本権として認めている。日本国憲法では第一九条で「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定しているのだ。
- おわりに
- 2003年5月2日、ブッシュ米大統領は太平洋上の空母エイブラハム・リンカーン艦上で、「イラクにおける主要な戦闘作戦は終了した」と演説した。得意げに演説しているブッシュ大統領の背後には「任務は成し遂げた(MISSION
ACOMPLISHED)」と書かれた横幕があった。その数時間後、小泉首相は訪問中のギリシャ・アテネ市内で記者団の質問に応えて、「多くの犠牲者を出しながら、イラクの自由のために戦った連合軍に敬意を表したい」と語った。
私だったらこう言う。「ブッシュ大統領、国連憲章に違反して犯してあなたの罪は重い。国際法に従って、あなたを国際刑事裁判所の審判に委ねよう。もう、戦争はやめよう。日本はどんな国際紛争があっても、その解決のために武力を使うことを永久に放棄した国です。武器をおいて、世界の貧困と取り組む道を一緒にさがそう。武器に使ったお金を、これからは平和を創るために用いよう。」
ニューヨークの国連本部の建物に面した小さな公園の壁に旧約聖書の言葉が刻まれているのをご存知だろうか。こう書かれてある。
『彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。』 (イザヤ書第2章4節)
まさに国連憲章の精神を表現している。日本国憲法第九条の「輸出」とは、すべての国に向かって、剣と槍を置き、鋤と鎌に打ち直そうと呼びかけることだ。もはや戦うことをやめよう。非暴力で平和を創ることを学ぼう。
- (2003年5月8日脱稿)
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- (copyright 池住義憲 2003)
- 池住義憲(いけずみよしのり)
国際民衆保健協議会(IPHC)日本連絡事務所 代表