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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
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☆  事項注

〔1〕 国際労働者協会(第一インターナショナル)は、一八六四年九月に創立されたが、その規約第三条には、一八六五年にベルギ−で大会を開くことを定めていた。六五年七月末、同協会中央評議会は、マルクスの努力によって、六五年九月に大会のかわりに、代表者会議をロンドンで開くことに決定した(『第一インタナショナル総評議会議事録。一八六四「一八六六年』(モスクワ、英語版)、一一五ページ以下)。
〔2〕 国際労働者協会の執行機関である総評議会をさす。
〔3〕 総評議会のメンバーであり、ロンドン会議代表であるウェストンの主張は、賃上げは労働者の状態の改善に役だたず、労働組合の賃上げは有害だというのであった。本書の「改題」参照。
〔4〕 イギリスの銀貨で、第二次大戦前は約五〇銭に相当(現在は五〇円)、二〇シリングで一ポンド。
〔5〕 この問題については、『資本論』第一巻第七篇第二二章第五節「いわゆる労働元本」(本文庫版『資本論』、第四分冊、一三六「一四一ページ)参照。マルクスは、そこでベンサム、マルサス、ジェームズ・ミル、マカロックらの労働元本は不変だというドグマが謝りであることを指摘している。
〔6〕 英語のspoon(さじ)とspoony(ばかばかしい)をもじったもの。
〔7〕 ローマの執政官で、紀元前四九四年に平民が聖山で反乱をおこしたときに、平民にむかってこのたとえ話(「腹と手足」)をしたという。シェークスピア『コリオレーナス』第一幕第一場(坪内逍遥訳、八「一二ページ)参照。
〔8〕 一産業部門の資本家の競争中に、需要と供給の変動によって形成される商品価格のこと。市場価格はそのときそのときの市場の情況に応じて市場価値(商品の社会的平均的価値)から上下に乖(カイ)離する。市場価値をめぐる市場価格の動揺をとおして価値法則が貫徹する。
〔9〕 一般利潤率の形成と利潤率の均等化についてのさらに詳しい記述は、『資本論』第三巻第二篇の第九「一〇章(本文庫版『資本論』、第八分冊、二八七「三五八ページ)参照。
〔10〕 イングランド、スコットランド、ウェールズの総称。
〔11〕 一八四八年四月一日から施行された新工場法は、未成年労働者(一八歳未満)と婦人労働者の一日の労働時間を一〇時間(一週五八時間)に制限したが、一八五〇年八月五日の改正で、一週のうち最初の五日は一〇時間半、土曜は七時間半(一週六〇時間)になった。『資本論』第一巻第三篇第八章第五「七節(本文庫版『資本論』、第二分冊、二〇一「二六七ページ)参照。
〔12〕 イギリスの経済学者シーニアは、最終の一時間に利潤がつくりだされるととなえた。これは、価値の生産過程を価値の表現のしかたと混同した誤り(はじめの一時間も終わりの一時間も同じに表現できる)で、マルクスは『資本論』第一巻第三篇第七章第三節でこの最終一時間説を批判している(本文庫版『資本論』、第二分冊、一三二「一四一ページ)。
〔13〕 フランス大革命のとき、一七九三年五月四日と九月一一日、二九日および一七九四年三月二〇日に国民公会が制定した法律。同法は、穀物、穀粉その他の消費財の最高価格と賃金の最高額を決めた。
〔14〕 一八六一年九月にマンチェスターで、イギリス科学振興協会の第三一回の年次通常会議がひらかれたが、当時エンゲルスのところに滞在していたマルクスは、この会議に出席した。会議では、同協会経済部議長のウィリアム・ニューマーチも発言した(マルクスは以下でニューマンと誤記している)。ニューマーチは部会をひらいて、「健全な課税の原理がイギリス王国の立法に具現されている程度について」というテーマで講演した。なおマルクスの手稿では、一八六〇年と誤記されている。
〔15〕 トマス・トゥック、ウィリアム・ニューマーチ著『一八四八「一八五六年の九年間における物価および貨幣流通状態の歴史』、二冊。この書は、『一七九三年から現在にいたる物価史』(一八五七年、ロンドン)の第五「六巻をなす。
〔16〕 オーエン『工場制度の影響にかんする考察』(一八一七年、第二版、ロンドン)七六ページ(山中篤太郎訳、『一橋新聞』第二九号)参照。
〔17〕 この数字は、五人の賃金の総額で、一人あたりでは一一シリングから一四シリングへの上昇である。
〔18〕 イギリス、フランス、サルデーニャ、トルコがロシアと戦ったクリミア戦争(一八五三「一八五六年)をさす。
〔19〕 一九世紀なかばのイギリスにおける農業労働者の住宅の大量破壊は、資本主義的産業の急激な成長と、農業における資本主義的生産様式の採用にともなって生じた現象であり、同時に総体的過剰人口のいちじるしい増加を生じさせた。とくにまた、農村地方の住宅の大量破壊は、地主の支払うべき救貧税の金額が、根本的には地主の土地に住む貧民の数によって決まるということによって促進された。だから地主は、自分たち自身には必要でないが、農村の「過剰」人口の宿になることのできるそれらの住居を、意識的に破壊させた。詳しくは『資本論』第一巻第七篇第二三章第五節(e)「イギリスの農業プロレタリアート」(本文庫版『資本論』、第四分冊、二四四「二八七ページ)参照。
〔20〕 『農業でもちいられる諸力』という講演は、一八六四年に没したジョ−ジ・モ−トンの息子であるジョン・チャ−マズ・モ−トンによってなされた。マルクスは、父と子をまちがえたのである。
技芸協会「「一七五四年に創立された、啓蒙主義的な博愛主義的協会。
〔21〕 極貧状態にある貧民層をさすが、イギリスでは、救貧法にもとづいて教区からわずかな生活費が支給された。注〔57〕参照。
〔22〕 穀物法の廃止にかんする法律は、イギリス議会によって、一八四六年六月二六日に議決された。外国からの穀物の輸入を制限ないし禁止することを目的としたいわゆる穀物法は、大土地所有者つまり土地貴族の利益のために一八一五年にイギリスで採用された。(旧法の改訂)。一八四六年の同法の廃止(ただし施行期日は、一八四九年二月一日)は、産業ブルジョアジ−の勝利を意味するもので、彼らは、安い労働力を手にいれるために穀物法に反対して自由貿易のスロ−ガンをかかげてたたかった。
〔23〕 スコットランドでは株式銀行中心の金融制度の伝統があり、イングランドのイングランド銀行集権制度と対立し、株式銀行の運営、金融操作にすぐれていた。
〔24〕 イギリスでは、通貨の鋳造費用(造幣手数料)は徴収されないが、摩滅による損失は所持人負担であった。
〔25〕 イングランド銀行券は、はじめ二〇ポンド券として発行され、一七五九年に一五ポンド券と一〇ポンド券が、九三年に五ポンド券が発行され、また九七年に一ポンド券と二ポンド券が発行されたが、一九世紀にはいって五ポンド未満の銀行券の発行は廃止され(一八二六年法)、危急の場合に一時的に一および二ポンド券の発行をみたことはあるが、最低五ポンド、最高一〇〇〇ポンドと規定された。
〔26〕 一八六一年に始まったアメリカの南北戦争(一八六五年まで)。この戦争のためアメリカからの綿花供給がとだえ、イギリスに一八六一「六四年の綿業恐慌がおこった。とくに『資本論』第一巻第四篇第一三章第七節、第三巻第一篇第六章第三節(本文庫版『資本論』、第三分冊、二二八「二四七ペ−ジ、第八分冊、二三七「二五九ペ−ジ)参照。
〔27〕 マルクスの手稿では、ここも、すぐ前と同じく四〇〇%となっている。上昇分だけをとってみれば、三〇〇%である。
〔28〕 以下の通貨の数量は、マルクスの手稿、エ−ヴリング版、ベルンシュタイン版等で若干のちがいがあるが、実数にもとづいて訂正された。
〔29〕 本書、七〇ペ−ジ参照。
〔30〕 リカ−ド『経済学および課税の原理について』、一八二一年、ロンドン(第一版、一八一七年)の第一章第三節以下(岩波文庫版、小泉信三訳、上巻、二五ペ−ジ以下)参照。
〔31〕 『経済学批判』の刊行(一八五九年)後、マルクスの研究はいっそう精密さをくわえた。以下はマルクスが『資本論』で展開した分析のすぐれた要約である。
〔32〕 同じ幾何の例は、『資本論』第一巻第一篇第一章第一節(本文庫版『資本論』、第一分冊、七一ペ−ジ)にもあげられている。
〔33〕 労働が結晶して商品の姿をとってあらわれること。
〔34〕 商品は、それと交換される他の商品(等価物)に関係することによってのみ自己の価値を表現する。他の商品との関係において相対的に体現された一商品の価値を、相対的価値という。
〔35〕 フランクリンのこの論文は『フランクリン著作集』第二巻(一八三六年、ボストン)に収められている(スミス版、一三三「一五五ペ−ジ)。初版は一七二九年刊。マルクスの手稿では一七二一年と誤記されている。なおフランクリンのこの例の引用は、マルクス『経済学批判』(本文庫版、五五「五七ペ−ジ。大月書店版『マルクス=エンゲルス全集』第一三巻、四〇ペ−ジ)にみられる。
〔36〕 一八六五年当時、イギリスでは、一八一六年の貨幣法によってソヴリン金貨を本位貨幣とする金本位制度がしかれ、銀貨は補助貨幣となっていた。一方ヨ−ロッパ大陸では、フランス、イタリア、ベルギ−、スイス等では金銀複本位制度(金貨と銀貨の両者を一定の比率を定めて本位貨幣とする制度)が、またオ−ストリア、ドイツ、ロシアでは、銀本位制度がしかれ、銀貨が主たる流通手段となっていた。
〔37〕 フランスの重農主義者チュルゴ−(一七二七「八一年)やメルシエ・ド・ラ・リヴィエ−ル(一七二〇「九三年)らは、生産に必要な経費によって価格が決まるとして、これを基本価格、必要価格と呼んだ(メルシエ・ド・ラ・リヴィエ−ル『政治社会の自然的・本質的秩序』(一七六七年)参照)。これは、スミスの自然価格と同じ概念ではあるが、しかしスミスが価値の実体を投下労働と支配労働の二つに求めて混乱したのにたいし、彼らは労働を価値の実体とみている。なお自然価格と同じ意味で必要価格という語をもちいているものにマルサスがある(岩波文庫版、マルサス『経済学原理』、吉田秀夫訳、上巻、一三五「一三六ペ−ジ。『穀物条例論および地代論』、楠井隆三・東嘉生訳、一四〇ペ−ジ)。マルクスは、『経済学批判要綱』では、生産費をつぐなう価格と、生産費に利潤をくわえた価格の両者を必要価格とよんでいる(大月書店版、高木幸二郎監訳、第二分冊、二三三「二三六ペ−ジ)。重農学派にかんするマルクスの同じ記述は、『資本論』第一巻第六篇第一七章、第三巻第二篇第一〇章(本文庫版『資本論』、第四分冊、一三ペ−ジ)にもみられる。
〔38〕 アダム・スミス『諸国民の富』第一篇第七章(岩波文庫版、大内兵衛・松川七郎訳、(一)、二〇七「二〇八ペ−ジ、慶友社版、竹内謙二訳、(一)、七八ペ−ジ)。
〔39〕 ここでの表題は Labouring Power となっているが、エンゲルス校訂の『資本論』英訳定訳版(第一巻第二篇第四章第三節「労働力の売買」以下)では Labour-Power となっている。本節のテーマは、『資本論』の右の節で展開されている。
〔40〕 イギリスでは一八四八年に婦人と年少者の一〇時間労働法が実施されたが(注〔11〕参照)、交替制によって有名無実となり、また成年男子労働者の労働日は制限されておらず、一八六五年当時のその実情は『資本論』第一巻第三篇第八章「労働日」(本文庫版『資本論』、第二分冊、一四四ペ−ジ以下)に詳しく述べられている。一方、大陸、たとえばフランスでは、二月革命の結果、一八四八年の命令で成年労働者の一日の最長時間をパリで一〇時間、その他で一一時間と定め、革命政府の倒壊後は、四九年の大統領令で全国一律に一日一二時間とした。〔41〕 ホッブズ『リヴァイアサン』、岩波文庫版、水田洋訳、(一)、一四七「一四八ペ−ジ。同一の引用は、『資本論』第一巻第二篇第四章第三節「労働力の売買」(本文庫版『資本論』、第二分冊、四八ペ−ジ)でもなされている。
〔42〕 アダム・スミスは、労働にさきだっておこなわれる蓄積といっている(『諸国民の富』、前掲訳書、(二)、二三二「二三三ペ−ジ、(2)、九四ペ−ジ。『グラスゴ−大学講義』、高島善哉・水田洋訳、三五〇「三五一ペ−ジも参照)。なお、「原蓄積」 Original Accumulation は『資本論』第一巻第七篇第二四章で「本源的蓄積」 Primitive Accumulation といわれているものにあたるが、ここでは原罪などと同じ言いかたで、風刺的意味をふくんでいると思われる。つぎにでてくる「原収奪」「原結合」もこれにならった言いかたである。
〔43〕 フランスの小ブルジョア哲学者プル−ドン(一八〇九「六五年)は、その著『財産とはなにか』の第三章第六節「社会ではすべての賃金は平等である」のなかで、「各人には能力や労働にしたがって」というモット−をかかげたサン−シモン主義者やフ−リエ主義者に反対し、熟練労働者も他の労働者の労働とパンをぬすみとる権利はなく、各人は必要な労働量を供給して平等な賃金を要求する権利があると主張した(平凡社版『社会思想全集』第二六巻、プル−ドン『財産とは何か』、鑓田研一訳、一五二「一六一ペ−ジ)。その流れをくむバク−ニン(一八一四「七六年)らの無政府主義者も階級の平等・財産の平等をとなえて同種の要求をかかげた。これらはいずれも現実の階級関係を無視して万人の平等にすりかえる抽象的なにせ過激論であった。マルクスは、『経済学・哲学手稿』においてプル−ドンを「労賃の平等を社会革命の目的とみなす」小事改革家として批判している(本文庫版、『経済学・哲学手稿』、藤野渉訳、四〇ペ−ジ、一一五ペ−ジ)。賃金闘争の目的である同一労働同一賃金の要求とは区別すべきである。
〔44〕 マルクス経済理論のもっとも独創的な根本命題の一つがこの点にあることは、エンゲルスあてのマルクスのつぎの手紙からも明らかである。「僕の著書のいちばんすぐれている点は・・・・二、剰余価値を利潤、利子、地代等のようなその特殊な形態から独立にとりあつかっている点だ」(一八六七年八月二四日付、本文庫版『資本論にかんする手紙』、岡崎次郎訳、上、一五九「一六〇ペ−ジ)。
〔45〕 ここで述べられている二つの利潤率は、『資本論』では厳密に区別されている。第一の利潤率、つまり剰余価値と賃金に前払いされた資本(可変資本という)との比率は、剰余価値率とよばれ、第二の利潤率、つまり剰余価値と総資本との比率だけが、利潤率とよばれている。一八六二年八月二日のエンゲルスあての手紙(本文庫版、前掲『資本論にかんする手紙』、上、一〇八ペ−ジ)からも明らかなように、マルクスははやくから二つの概念を明確に区別しているが、ここではわかりやすくするためにこの区別を一応無視したのであろう。ここの最後のところでいわれているのは、剰余価値率のことである。
〔46〕 マルクスの手稿では、三三・三分の一%となっているが、注〔45〕から明らかなように、利潤率すなわち剰余価値率は五〇%であり、マルクスの書き誤りである。
〔47〕 本書三四ペ−ジ参照。生産力が低ければ商品一個の価格は高く、高ければそれは安い。このばあい賃金は、まえのばあいには相対的に低く、あとのばあいには相対的に高い。
〔48〕 マルクスの手稿では、 seriously (真剣に)となっているが、ディ−ツ版『マルクス=エンゲルス全集』第一六巻のドイツ語訳 nacheinander のように serially (順次に)の誤記と思われる。なお、手稿では、つぎの段落のはじめにある「一」は、この段落のはじめに記されている。
〔49〕 穀物法(注〔22〕参照)反対運動は、イギリスの工場主の団体である穀物法反対同盟によって一八三八年から四六年までおこなわれたが、彼らは、安いパン、高い賃金というスロ−ガンをかかげ、安い外国の穀物が輸入されれば労働者の生活はよくなると労働者大衆によびかけた。しかしマルクスは、彼らの目的が、安いパンで労働者の賃金を引き下げ、高い利潤をえることにあることをみぬいていた(大月書店版『マルクス=エンゲルス全集』第四巻、四五七ペ−ジのマルクス『自由貿易問題についての演説』参照)。
〔50〕 ジャコバンはフランス革命時代の急進的革命派。反ジャコバン戦争とは、革命フランスにたいする戦争のことで、革命に敵対するヨ−ロッパ専制諸国は、一七九三年にイギリスを中心に第一次対フランス大同盟をむすんでフランスと戦い、以後、一七九九年第二次、一八〇五年第三次、〇六年第四次、〇九年第五次の大同盟をむすんで、一五年ワ−テルロ−の戦いでナポレオンが敗れるまで相ついで干渉戦争をおこなった。この戦争中にイギリス政府は、イギリスの労働者にたいする恐怖体制をうちたて、その間、もろもろの人民蜂起を弾圧し、労働者のどんな結社をも禁止する法律をしいた。
〔51〕 マルクスのいっているのは、マルサス『地代の性質と増大、およびそれが規制される諸原理についての研究』(一八一五年、ロンドン)のことである。マルサスはそのなかで、穀物の価格と労働の価格との関係が深いことに言及し、飢餓的低賃金下の長時間労働の害を述べ、健康と幸福には若干の休息時間が必要だとしている(岩波文庫版、マルサス『穀物条例論および地代論』前掲訳書、一五一「一五三ペ−ジ)。
〔52〕 『産業と商業にかんする一論「「わが製造業において労働の価格に影響するとおもわれる租税にかんする考察をふくむ』(一七七〇年、ロンドン)。この匿名の書の筆者は、J・カニンガムである。マルクスは、『資本論』第一巻第三篇第八章「労働日」でこの書を引用し、し、とくに同章第五節「標準労働日のための闘争」では、ここで述べられている部分の詳しい引用をおこなっている(本文庫版『資本論』第二分冊、二二〇「二二三ペ−ジ)。
〔53〕 一八三二年の二月から三月にかけて、一八三一年に提出された子供と年少者(一三「一八歳)の労働日を一〇時間に制限する法案をめぐってイギリス議会でおこなわれた討論のなかでの言である。
〔54〕 ジャガナ−ト(「世界の主」という意)は、ヒンズ−教の最高神の一であるヴィシュヌ神の一化身。ジャガナ−ト崇拝は、とくに豪華な儀式と極端な狂信が特徴で、この狂信は信者の苦行と自己犠牲となってあらわれる。大祭日には、信者はヴィシュヌ=ジャガナ−トの神像をのせた車の下に身をなげる。ジャガナ−トは罪の清め手で、その車にかれると極楽往生ができるとされる。
〔55〕 ウィリアム・トマス・ソ−ントン『過剰人口とその解決策』(一八四六年、ロンドン)をさす。
〔56〕 マルクスの講演は一八六五年六月二〇日と二七日の二回にわたったので、本書前半の六月二〇日の講演をさし、本書「二、生産物、賃金、利潤」の記述がそれにあたる。
〔57〕 イギリスで一六世紀以来おこなわれた救貧法によれば、教区ごとに特別の救貧税がとりたてられた。教区民で自分と家族を養えないものは、貧民救済基金から扶助をうけた。
〔58〕 シェ−クスピアは、史劇『ヘンリ−四世』『ヘンリ−五世』『ヘンリ−六世』『リア王』『リチャア−ド三世』等のなかで、イギリス自営農民(坪内訳では、郷士)をイギリスの誇り高き存在として描いている。
〔59〕 マルクスがここでいっているのは、当時のアメリカ合衆国やオ−ストラリアのように、未占有の土地がまだたくさんあった植民地のことである。『資本論』第一巻の第七篇第二五章「近代植民理論」注(二五三)で、マルクスはこう書いている。「ここで問題にするのは、真の意味の植民地、すなわち自由な移入民によって植民される処女地である。合衆国は、経済的にいえば、いまなおヨ−ロッパの植民地である。そのほか、奴隷制の廃止によって事情がまったく一変した古い栽植植民地もこの部類にはいる。」(本文庫版『資本論』、第四分冊、三九五ペ−ジ)。植民地の土地がどこでも私有財産として横領されてしまったあとでは、賃金労働者が独立生産者になることはできなくなった。
〔60〕 『資本論』第一巻第七篇第二五章「近代植民理論」(本文庫版『資本論』、第四分冊、三九五「四一〇ペ−ジ)参照。そこではイギリスの植民政治家E・G・ウェ−クフィ−ルド(一七九六「一八六二年)の植民政策論が批判されている。当時は、植民地では土地が豊富なために、移民労働者は土地を入手してたちまち独立生産者となるので労働力が欠乏したため、ウェ−クフィ−ルドはその対策として「労働者たちにたいして、他の人々がやってきて賃労働市場で彼らにとってかわるまでは、かれらが独立農民になることをさまたげるほど」十分に高い土地価格をつけること、その代価で移民基金をもうけることなどを提唱した。イギリス政府はこの方法を多年にわたって採用したが、マルクスはこの理論を、植民地での賃金労働者の製造のための、資本蓄積のための理論として批判した。
〔61〕 リカ−ド『経済学および課税の原理』第三一章「機械論」(岩波文庫版、前掲訳書、下巻、一四一ペ−ジ)参照。
〔62〕 スミス『諸国民の富』、前掲訳書、(二)、二三三ペ−ジ、(2)、九四「九五ペ−ジ参照。
〔63〕 マルクスは「固定資本」にいっさいの生産手段(原料もふくめて)をふくませているが、これは厳密には「不変資本」のことである。固定資本は、流動資本、すなわち価値を一定期間中にぜんぶ商品に移転する資本部分(機械、建物等)を意味するものであるから、固定資本のなかにいっさいの生産手段をふくめるのは厳密ではない。しかしマルクスは、すでに『経済学批判要綱』などにみられるように、不変資本と可変資本(価値の移転ではなく、価値が搾取されるかいなかによる資本の区別で、労働力のみがその価値を増殖する可変資本であり、機械、建物、原料等は価値の大きさをかえない不変資本である)の区別を明確にしていたのであるが、通俗化のためにこの語をもちいたのであろう。なお、ここで「資本の構成」といっているのは、不変資本と可変資本との比率のことで、『資本論』で「資本の有機的構成」といわれているものである。
〔64〕 これらの文筆家の著作の引用は、『資本論』第一巻第七篇第二三章第三節「相対的過剰人口または産業予備軍の累進的生産」注(七九)(本文庫版、第四分冊、一七四「一七五ペ−ジ)および『剰余価値学説史』第三部第二二「二四章「ラムジ」「シェルビュリエ」「ジョ−ンズ」(ディ−ツ書店版、三二三「四四七ペ−ジ)にある。
〔65〕 エンゲルスは、一八四四「一八四五年の『イギリスにおける労働者階級の状態』(大月書店版『マルクス=エンゲルス全集』、第二巻、四六七ペ−ジ)や一八八一年の『公正な労働にたいする公正な賃金』と題する論文(大月書店版『マルクス=エンゲルス選集』第一二巻、四〇七ペ−ジ)のなかで、多年イギリスの労働運動のモット−となっていたこの標語に言及し、これを批判している。マルクスはインタナショナルの中央評議会の席上(出席者の半数は労働組合の代表であった)ではじめて「賃金制度の廃止」というスロ−ガンを提出した。マルクスはこのスロ−ガンを一八六六年の「臨時総評議会代表にたいする指令「「各種問題」(大月書店版『マルクス=エンゲルス選集』第一一巻、一五三ペ−ジ以下。本文庫版『労働組合論』、三七ペ−ジ以下)その他で強調し、各国の労働運動に絶大な影響をあたえた。


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