生薬のお話②

◆麝香(じゃこう)◆

麝香は麝香鹿の雄の腹部(臍と陰部との間)にある嚢中の分泌物を乾燥したもので、特殊な香気があり英語ではmuskといいます。日本薬局方には麝香は「シカ科のジャコウジカまたはその近縁動物の雄のジャコウ腺分泌物を乾燥したもの」と規定されていましたが、ワシントン条約発効以降、日本薬局方から除外されました。

麝香は薬としても長い歴史がありますが、むしろ香料としてのほうがポピュラーで、香水としてのほうが有名です。中国では、麝香を墨や部屋の漆喰に練りこむ風習がありますが、これは単に香りを楽しむというだけではなく、麝香の香りで疾病を防ごうという意味合いがあったのです。

中国最古の薬物書「神農本草経」には365種類の薬物が上薬、中薬、下薬にわけて収載され、麝香は上薬(毒がなく、続けて服用しても害が出ず、むしろ寿命を延ばす命を救う薬)として記載されています。
わが国への伝来は、奈良朝時代といわれています。唐招提寺を建立した鑑真和尚が来日に際し用意した仏典や多くの香料・薬物を記載した「唐大和上東征伝」の中には麝香が冒頭に記述されています。
わが国での麝香の利用記録については、正倉院に保存されている「薬種二十一献物帳」の60の薬名の冒頭に記載があることからも重要な薬物として古い時代から使われていたと考えられます。

「神農本草経」には、はじめに発熱して、しばらくして惡寒を発する病気や急に卒倒して痙攣するものを治し、長期に服用すると精神的なストレスを取り除き、夢を見て飛び起きたり悪夢にうなされることがなくなるといった内容のことが書かれています。
李時珍は「本草綱目」の中で、意識が混濁したり朦朧となったものを回復させ、エネルギーを全身に巡らせ経絡の滞りを開き、中風、中気、食物が消化せず腹部が痛むものを治すと記しています。

中医学では「麝香」は牛黄などと同じ芳香性開竅薬に分類され、主として閉証に用いられます。閉証とは、意識障害・牙関緊急(歯をくいしばって口を閉じ開けない状態=口噤)・手を握りしめるなどの症状があり、血圧はほぼ正常か高く、呼吸や循環機能の低下が見られないものです。

[薬味・薬性]は辛・温で、[帰経]は心・脾経、[薬理作用]は開竅・活血・催生で、中枢興奮、抗菌、子宮の興奮作用などがあります。臨床応用としては、①高熱時の意識障害・痙攣発作や脳卒中に用い、②打撲損傷や腹腔内腫瘍、化膿性疾患に用います。

強烈な香気が反射興奮性に働いて、呼吸中枢の興奮作用と強心作用とを現し、虚脱・失神などのときに使用するのはこれのためです。一方、脳中枢の機能も亢進させて熱病時の神経安定に、人事不省の覚醒に、知覚麻痺、精神不安定の除去に、また平時においては鎮痙に用いられます。妊婦に対しては禁忌といわれています。

麝香を用いた医療用漢方薬はありません。
麝香を配した一般用OTC薬には、次のようなものがあります。
救心、六神丸、救心感応丸気、正野萬病感応丸、宇津救命丸、樋屋奇応丸、牛黄清心元などがあります。

参考図書:麝香の話(救心)、漢薬の臨床応用(中山医学院編・神戸中医学研究会訳・医歯薬出版)、近代漢方薬ハンドブック(高橋良忠著・薬局新聞社)他