| 短編 青い空の底で |
| 僕の住んでいる町はお寺が多く、法事帰りらしい黒のワンピースや背広を着た人々が、なにか懐かしそうな楽しそうな様子で談笑しながら歩いているのを、よく見かける。それを見ていると、祖母が亡くなった時のことを思い出す。あれは五年前のよく晴れた夏の日だった。青空がどこまでも高く、日差しは眩しく、僕の父も母も集まった親族達も、みなお寺の控えの間で茶をすすりながら、咲さんも本望だろうと笑っていた。なぜなら、祖母は五十年以上も想いつづけてきた祖父のもとに旅立ったのだから。 祖母のことを考えると、すぐに、そのぴんと伸びた背筋や、ひとつの乱れもない和服の姿、きっちりと結い上げて簪をさした白い髪などが思い浮かぶ。祖母は、こじんまりとした障子と襖と畳の家にひとりで住んでいて、父や母がどんなに同居を勧めても、微笑んで、しかし毅然と断った。父の話によると、父が大学を出て就職し母と結婚をした時になって、祖母はその小さな家を買い取り、住みはじめたのだという。母は最初気に病んだらしい。しかし祖母は快活に笑い飛ばし、わたしはずっとこういう家に住みたかったのよ、と言ったそうだ。 僕は知っている。その家が、祖父と祖母が新婚だった頃に住んでいた家なのだということを。空襲を逃れ、再開発の波をも逃れたその家は、まるで祖母が戻ってくるのを待っていたかのように、ひとつだけ、古い日本のしっとりとした佇まいを残していた。 祖母は僕に内緒話でもするように教えてくれた。 「公次朗さんが迷うといけないでしょ」 いたずらっぽく目が笑っていた。祖母は祖父を待っていたのだ。 祖母は、二十五歳で亡くなった祖父のことを「公次朗さん」と呼んでいた。間違っても「おじいさん」などと呼びはしなかった。祖父は、いつまでも祖母の恋しいひとであり続けた。 初めて祖母が「公次朗さん」のことを話してくれたのは、僕が小学五年生の時だった。僕は、夏休みの宿題のために、祖母の家の庭に咲いている朝顔を写生にでかけた。けれども朝顔は、炎天下の昼日中ですでに萎れていた。祖母は、 「朝顔を描くなら、朝じゃなくちゃねえ」 と言って、アイスキャンディを一本くれた。うす青くてソーダの味のするやつだった。縁側に腰掛け、足をぶらぶらさせながらゆっくりなめていると、ソーダは溶けて敷石に青いしみを作った。どこからともなく蟻が現れて、そのしみを囲んだ。 祖母は僕のとなりに正座して、僕の顔を微笑みながら見ていた。夏用の単衣の着物を着て、汗ひとつかいていなかった。 「悟は本当に公次朗さんに似ているね」 と祖母は懐かしそうに言った。 「公次朗さんって誰?」 と僕は訊きかえした。 祖母は、奥の方の座敷の長押にかけてあるセピア色の写真を指差しながら、 「あのひと」 と答えた。その顔は、やさしく、あたたかく、すこし哀しそうで、僕はそれ以上訊くのをやめた。僕はアイスのお礼を言って、家に帰った。 それから僕は、ちょくちょく祖母の家に行くようになった。祖母の家は静かで落ち着いていて、公次朗さんの写真と祖母の作り出す時間がゆっくりと流れていた。その雰囲気は、子どもながらも心地よかった。 祖母は僕を子ども扱いしなかった。大人の訪問客に対するようにお茶を出してくれて、少しずつ公次朗さんについて話をしてくれた。祖母の出してくれる抑えた甘さの和菓子や、きれいな白磁の湯飲みによく映える煎茶の色なんかを、今でもよく思い出す。夏には細かく削った氷にあずきを添えて出してくれたりもした。僕はケーキやスナック菓子なんかよりもむしろそっちのほうを好み、よく母に 「変わった子ねえ、あなたは」 と言われた。 祖父が亡くなった時のことを聞いたのは、次の年の夏だった。 僕が朝早く祖母の家に駆け込むと、祖母は仏壇に向かって手を合わせていた。 「おばあちゃん」 と庭から僕が呼ぶと、祖母は振り向いた。やさしい顔をしていた。 「公次朗さんをね、拝んでいたのよ。今日は公次朗さんの命日だから」 そして祖母は僕を手招きし、僕も祖母の隣に座って手を合わせた。そのあと祖母はみずようかんを出し、公次朗さんのことを話してくれた。 「太平洋戦争が終わる少し前ね。公次朗さんも兵隊に取られて戦争に行ったの。戦争が激しくなって、学生さんも戦場にやられるようになった頃ね。その頃公次朗さんは、先生をしながら大学で研究を続けていてね。化学やら工学やら修めていたら違ったんでしょうけど、公次朗さんはドイツ文学の研究をしていたものだから、後方の役には立たないと思われたんでしょうね。南の方に船で行ったんだけれど、行き先に着く前に、船が沈没してしまって、誰も助からなかったの。通知は来たんだけどね、お骨も、何もないの。だから、さっき暁が拝んだのは、その通知なのよ」 祖母はふと外の空を見た。 「でも、よかったわ。とってもやさしいひとだったから、他人様を殺すようなこと、できなかったと思うもの」 そう言って、祖母は僕に微笑んだ。 「眞一もやさしい子に育った。悟もやさしい子かい?」 眞一というのは僕の父だ。祖父と祖母の、たったひとりの子どもだ。 「どうだろう……分かんないよ」 僕は口ごもった。 「分からないのはやさしい証拠。さ、今日はお帰り。まだ公次朗さんと話すことがあるから」 僕は祖母の家を出た。きっと、今頃祖母は、仏壇に向かって心の中で公次朗さんと話しているんだろうと思った。 祖母が祖父と結婚したのは、祖母がかぞえで十七歳の時のことだった。 祖母は裕福な商家の生まれで、頭もよかったらしく、女学校へ進んだ。祖父は農家の次男で、祖母とは対照的に貧しい生まれだったらしいが、成績が飛び抜けてよく、教師の勧めで上の学校に進み、官費学生として帝大に入った。祖母が女学校で学んでいた頃、学業の傍らドイツ語の教師としてその学校に来ていたのが祖父で、ふたりはそこで出会ったらしい。 祖父が求婚した時のことを、祖母はふくふくと笑いながら教えてくれた。 「わたしがもうそろそろ女学校を終える頃だったわ。廊下で公次朗さんとすれ違ったの。そしたら、『倉田さん』て呼び止められたの。よく名前を知っていると思ったわ。向かい合ってみると公次朗さん、真っ青な顔をしていてね。お医者に連れてった方がいいんじゃないかと思ったくらい。わたしが『はい?』って言うとね、公次朗さん、真っ青な顔のまま、『僕はダンテではありませんが、僕のベアトリーチェになってくれませんか』って言ったの。わたし、思わず『はい』って答えてしまったわ」 そう言って祖母は、嫣然とお茶を飲んだ。 祖母はダンテもベアトリーチェも何かは教えてくれなかったが、僕はなにか有名な世紀の恋人同士なんだろうとおぼろに納得した。それを知ったのは高校生になってからのことだ。祖父も気障なことをいう、と思ったが、考え直してみれば気障でもなんでもない、真摯な、必死の一言だったんだろう。 祖母と祖父の結婚は、祖母側の親の大反対にあったらしい。そうだろう。帝大生とはいえ貧乏農家の次男坊と、大店のお嬢さんだ。祖母は知らなかったらしいが、その両親にはこれと決めた人がいたらしい。 「いやよねえ、わたしひとっつも知りゃあしなかったわ。おとっつあんもおっかさんも、お付き合いのある問屋さんの跡取息子と、わたしの結婚を考えていたらしいんだよ」 僕はその頃、男の人と女の人は好き合って初めて結婚するものだと信じていたから、ひどくびっくりしたのを覚えている。お見合い結婚なんて言葉も知らなかった頃だ。 「だって、おばあちゃんそのひとのこと知らなかったんでしょう?」 祖母はやさしい目を僕に向けた。 「昔はね、そういうのはよくあったんだよ。結婚した日に初めて旦那様の顔を見るなんてことがね。おかしいわよねえ、そんなの。知らないひとと結婚するなんてねえ。わたしもそう思うわ。悟も、そのことはずっと覚えておいで。大事にしておいで。おとなになるまで。おとなになっても」 そう言って僕の頭をなでてくれた祖母の手。祖母の手はちいさくつるつるしていて、冷たかった。 僕は中学生になり高校生になり、祖母の家に行くことはだんだんと減っていったが、あいかわらず祖母の家はすきだった。祖母も、僕の訪問が減っていることは承知の上で、いつ行っても歓迎してくれた。 僕の存在は家族の中で少々特異だった。 「かあさんは僕が行くといい顔をしないからなあ」 と父はよく言った。 父によると、もちろん嫌な顔を見せるわけはないのだが、あんたの口車にはのらないわよという顔で澄ましているのだという。 「やっぱり僕はかあさんに同居してもらいたいし、どうしてもその話をしてしまうんだけど、かあさんはそれが嫌で嫌でな。いや、それは分かっているんだが」 そう言って父は苦笑する。 そういう話をすると、祖母は破顔一笑する。 「だってねえ。あんたたちのうちになんか引っ越したら、公次朗さん、うちが分からなくなっちまうわ」 そしてふと、遠い目をするのだ。 「わたしもずいぶん引っ越しをしたけれど、眞一だってもう立派に大人になったんですもの、あとは公次朗さんを待って暮らしたいわ……わたしだって、そのくらいしたっていい歳よねえ、もう」 歳、なんて言葉を口にするが、祖母はまったくその年輪が見えないひとだった。戦後の混乱期女手ひとつで子どもを育て上げ、高度成長期を経て現在にいたるまで、相当な苦労があったことは想像に難くない。なのに、祖母はまるでいつだってこの公次朗さんとふたりの家で、こうして座ってお茶を飲んだり細かい氷とあずきのつまったもなかを涼しげに食べていたりするように見える。 祖母の洋服姿やパーマ姿なんかも、想像できない。父に訊いてみたこともあるけれど、 「いや、あった。あった筈だ。あった筈なんだが……思い出せない。かあさんていうと……着物を着て、髪をまげに結んで、日傘をさしている姿しか思い出せない。それでもって、なぜかいつも夏なんだよなあ。それも、全然暑そうじゃなくてさ」 父ですら、こう言うのだった。 祖母が亡くなったのは、僕が大学四年の夏だった。ほおづき市のあった日だから、よく覚えている。 大学受験期以降、僕は祖母のうちに足を向けることはほとんどなくなっていたのだが、なぜかその日は、ほおづきを買い求めて祖母へのお土産にし、最近の無沙汰のお詫びにしようと思いたった。僕は、朱い実がたくさんついているちいさな鉢を買って、祖母のうちに向かった。 どうしてそれが祖母だと分かったのか、分からない。女のひとと男のひとが祖母のうちの門から出てきたように思った。胸がずきんと高鳴った。 「おばあちゃん」 知らず知らず、声をかけた。女のひとと男のひとはふと振り向いた。 「はあい?」 女のひとは、ふんわりと笑った。祖母だった。僕には分かった。けれどその祖母は、真っ黒な髪を背中に長く垂らして前髪を大きくふくらませ、えんじ色のりぼんをし、上品なピンク色の着物に紺の袴を穿き、足元は編み上げ靴で固めていた。 「久しぶりだね、悟。おおきくなったこと」 祖母はそっと近寄って、僕の前髪をかきあげてくれた。 僕は男のひとを上目がちに見た。 「……公次朗さん?」 「ああ、そうよ。悟は会うのは初めてだものね」 祖母は自慢そうににっこりした。 公次朗さんはなにか眩しそうな顔をして脇のほうを眺めていた。白い麻の上下を着て、同じように白い麻の帽子をかぶっていた。円い硝子の眼鏡をかけたその横顔は、確かに写真で見慣れた、公次朗さんの顔だった。 公次朗さんは背広の内ポケットから懐中時計を出し、手で影を作って時間を見た。祖母はそれを見て、うなずいた。 「行くの?」 「そう。もう行かなくっちゃ」 祖母の笑顔はどこまでもやさしかった。 「僕、おばあちゃんにほおづき持ってきたんだ」 「そう、ありがとう。うれしいわ。でも持っていけないから、お前部屋の中に入れておいてくれるかい」 「うん、分かった」 公次朗さんは背を向けて歩き出した。祖母はその後に従った。僕はふたりを見送った。祖母が振り返った。 「悟?」 「なに?」 「さようなら」 陽を背にして、祖母の顔は見えなかった。 「おばあちゃん」 「ん?」 「しあわせにね」 「いやあねえ、この子は」 祖母は、本当に幸せそうに声を立てて笑った。 「悟。さようなら」 祖母の最後の声がした。陽に手をかざして見送るうち、ふたりの姿は消えた。僕はぼんやりと、いつまでも視線を離せなかった。 祖母のお葬式が済んでからしばらくあとで、街を歩きながら、僕は恋人の晶子に訊いてみたことがある。 「僕が死んだら、晶子、どうする?」 晶子は腰に両手をあてて笑って見せた。 「そしたら黄泉の国まで迎えに行ってあげる」 ベアトリーチェではないが、この頼もしいエウリディーケと、僕は来年の夏結婚する。 |
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