童話 小さな恋の物語 〜オナカノ・ポンポコリーノとキレイナ・ツンツンニーナ〜

  

 昔々インドの中のある国に、おなかの大きな王子さまが住んでいました。
 名前を、オナカノ・ポンポコリーノといいました。
 王子さまのおなかはぽんぽんに大きくて、まるでちいさな丘のようでした。
 王子さまの着ている白いうつくしい着物も、ぱんぱんにはちきれそうで、着物をかざる金のぼたんも、はじけとびそうでした。
 でも王子さまは心のやさしいひとで、お庭のお花に水をやったり、土いじりをしたり、のらねこにごはんをあげたりするのがすきでした。だからお城はいつもお花でいっぱいで、ついでにねこもたくさん住みついているので、王さまやおきさきさまは内心すこし困ったものだと思っていました。でも、王子さまは花やねこにかこまれて、満足して暮らしていました。
 
 王子さまが十歳になったときでした。
 となりの国のおひめさまが、王子さまの未来のおよめさんとして、王子さまのお城で暮らすことになりました。おひめさまの名前は、キレイナ・ツンツンニーナといいました。
 おひめさまは、とても年とったうばと、たくさんの腰元と、たくさんの荷物担ぎの召し使いを引き連れて、たくさんのドレスと、たくさんのヴェールと、たくさんの耳輪と、たくさんの指輪と、たくさんの腕輪と、たくさんの足輪と、たくさんの首輪と、ししゅうのされたとてもきれいな靴と、数えきれないほどの宝石と、おとうさまとおかあさまの姿を描いた絵を象の背に乗せて、とてもきれいな輿(こし)にのってやってきました。
 おひめさまはお城につくと、輿からおりて、王さまとおきさきさまにごあいさつしました。それから、横につったっていた王子さまをちらっとみて、おじぎをしました。
 王子さまは、ヴェールをのけたおひめさまがあんまりかわいいので、ポーっとして、返事をすることができませんでした。体じゅうが赤くなって、着物がいつにもましてはちきれるかとおもいました。
 王さまとおきさきさまは、王子さまがあんまり間抜けにつったっているので、恥ずかしくなりました。おひめさまは王子さまより二歳年下なのに、りっぱにごあいさつができたからです。
 そこで王さまは、せきばらいをしていいました。
「王子はあがってしまって何も言えないようだ。いつもはとてもいいこだから、なかよくしておくれ」
 おひめさまはまた王子さまをちらっと見て、
「はい」
と言いました。
 その後、おひめさまはまたヴェールをして、うばといっしょに部屋に入り、そのあと、荷物担ぎの召し使いがおひめさまのたくさんの荷物箱をはこんだり、腰元が部屋のかざりつけをしたりしました。
 王子さまはおひめさまのことが忘れられなくて、ぽーっとしながら庭に出ました。
 王子さまが庭に出たのを見ると、たくさんのねこが集まってきました。いつもならおうじさまは順番に全部のねこをなでてあげるのですが、今日は、王子さまの手はねこの頭ではなくてその上の空中をなでていました。
「ぼくのおよめさんがきたんだよ」
と、王子さまはねこに言いました。ねこはあくびをしました。でも王子さまは見ていませんでした。
「すごくかわいいんだよ。とってもちいさくて、とってもほそくて、とっても白くて、目が黒くて、ほっぺが薄紅色で、くちびるが赤いんだよ。そんなかわいいこが、ぼくのおよめさんなんだよ」
 ねこたちは、王子さまがごはんをくれないので、かわるがわるあくびをしながら、どこかにいってしまいました。
 
 その晩は、大晩餐会でした。
 お城の料理番たちが腕をふるって、たくさんのおいしいご馳走を作りました。ほそながいお米を黄色く炊いたものが、つやつや光っています。魚を煮たものや焼いたものが小鉢からあふれそうになっています。焼いたお肉の大きなかたまりが、お皿からはみだしそうになっています。にわとりのあぶったものが、おいしそうにてかてかしています。それに、銀の足のついたお皿に盛ったたくさんの果物、見事な細工のあまいお菓子、たくさんのご馳走を食べた後の口もお腹もすっと軽くしてくれる冷たいお茶、王さまのすきなお酒もたくさんありました。
 王子さまは食べるのがだいすきでした。いつも、料理番の出す一日三回のご飯を、ぺろりっと食べてしまいます。そのほかにも、一日二回おやつも食べます。王子さまは見事に料理されたご馳走を、見るのもすき、味わうのもすき、そしてそんな時には、とても幸せな気分になるのでした。
 それなのにきょうは、よそみをしたまま、手から黄色いお米がこぼれそうです。
 王さまはお酒を飲んでごきげんで、こういいました。
「わっはっは。きょうはどうしたのじゃオナカノ・ポンポコリーノ。いつもはこれだけのご馳走では足りなかろうに。キレイナ・ツンツンニーナにみとれて、食べるほうがおるすになっているのか」
 いやな王さまですね。
 王子さまはそれを聞いて赤くなって、あわててお米を口におしこみました。にわとりの足をいっぽん取って、大急ぎでかじりつきました。そんなにあわてて食べたので、王子さまはのどがつまりそうになり、急いでがぶりとお茶を飲みました。
 おひめさまはそれをちらっと横目で見て、果物をひとくちだけ食べました。
 
 つぎの日、王子さまは庭に出て、お花にみずをやっていました。
 そこへ、おひめさまがきょろきょろしながら庭にでてきました。
 王子さまはのどがつまったようになって、やっとのことで、
「お、お、お、お、おはよう」
と言いました。
 おひめさまは王子さまをちらっと見て、
「おはようございます王子さま」
と立派にごあいさつしました。そうして、王子さまの手についたどろや持っているじょうろを見て、
「王子さまは庭師のようなことをなさいますのね」
といいました。王子さまは意味がよく分からなかったので(なぜなら、王子さまは庭師となかよしだったからです)、
「とっても楽しいんだよ。」
と言いました。そして、
「ほらね、とってもきれいでしょう。いまはばらが咲いているんだよ」
「あら、青いばら」
とおひめさまは言いました。
 王子さまは、そのばらをたいそうたんせいこめて育てていたので、おひめさまの目にとまったことが、とてもうれしくなりました。。
「きれいでしょう。咲かせるのはたいへんだったんだよ」
 王子さまはおひめさまにそのばらをプレゼントしようとおもいました。
「ちょっと待っててね」
 そして、はさみをエプロンのポケットからだして、大きく咲いた一輪を、ぱちんと切りとりました。王子さまはそのばらをとても大切にしていたのですが、おひめさまのためならちっとも惜しいと思いませんでした。
 王子さまは、おひめさまのヴェールをちょっとめくって、髪にそのバラをさしてあげようとしました。
 ところが、おひめさまは体をねじって王子さまの手から逃れますと、
「いや、どろんこ!」
と言って、お城のほうに走っていってしまいました。
 王子さまは、どろんこの手にばらの花とはさみを持って、おひめさまの後ろ姿を見送りながら、ぼんやり立っていました。
 気がつくと、足をぶちのねこがかりかりかいていました。
 王子さまはねこに言いました。
「いいんだよ。おひめさまがせっかくきれいだと思ってくれたのに、ぼくの手がどろんこだったからわるかったんだよ」
 ねこはにゃーといいました。
「そうだね、花に水をやったら、おまえたちにご飯をやらなくちゃね。きのうはご馳走だったから、おいしいご飯がたくさんあるよ」
 それから王子さまは、ばらの木にむかって、花を切ってごめんね、と言いました。それで終わりのはずでした。
 でも、王子さまは洟(はな)をすすりました。鼻の下を手でこすりました。鼻の下はどろんこでまっくろになりました。王子さまは、目の下もこすりました。目の下もどろんこでまっくろになり、王子さまのかおはどろだらけになりました。もしここに誰かひとがいて、王子さまの顔の泥んこを笑ったなら、王子さまはすこしきまりわるそうに、けれどいつものひとのよい表情を浮かべて、一緒に笑ったでしょう。ですが、今は王子さまはひとりでした。
 王子さまはじょうろを取りました。そして、花にひとつひとつ水をやりました。ひとつひとつ、いつもよりも念入りに。
 
 次の日、王子さまはお城の料理番にご飯の残りをもらって、ねこたちにあげていました。王子さまがご飯をあげるので、お城には数えきれないくらいねこが住んでいました。もしかしたら、百匹もいたかもしれません。本当にもしかしたらですが。でも、お城ではご飯の残りがたくさん出るので、ねこたちのご飯に困ることはありませんでした。だからねこたちはみな、お行儀よくご飯を食べました。
 王子さまがねこに囲まれていると、おひめさまが外に出てきて、遠くからそおっと王子さまとねこたちを見ました。
 王子さまはすぐに気がついて、立ち上がると両手をごしごし着物のおなかのところにこすってきれいにすると、口をあけたりしめたりしながら、やっと、
「や、や、や、や、やあ」
といいました。
 おひめさまは王子さまをちらっと見て、
「おはようございます王子さま」
と立派にごあいさつしました。そして、ねこたちをみて、
「その動物は、なんですの」
と、訊きました。王子さまは、
「ねこだよ。みんなかわいいよ。抱っこする?」
と言いました。おひめさまは、鼻の頭にちょっとしわをよせてから、こくりとうなずきました。
 王子さまは、傍にいたちいさな黄色いとらねこを抱きよせました。そして、おひめさまにそおっと手渡しました。
 けれども、おひめさまは生まれてから一度も動物を抱いたことがなかったので、抱っこが下手でした。とらねこは脇と脇をつかまれて、胴体と足をぶらーんとぶらさげられたので、苦しがっておひめさまを蹴りました。
「いたい!」
 おひめさまは一声叫ぶと、とらねこを放り投げてしまいました。その手首には、ちいさなすりきずができて、すこし血がにじんでいました。
「あっ、だいじょうぶ?」
 王子さまはそう声をかけ、傷をのぞこうとしましたが、おひめさまは手首をもういっぽうの手でぎゅっと握りしめ、お城のなかに駆け込んでしまいました。
「大丈夫かなあ……」
 王子さまは心配そうにとらねこに言いました。とらねこは、知らないわよというように、自分の手をなめていました。王子さまはねこたちの輪のなかに座りこみました。なんだか心が重くてしょうがありませんでした。
「なんてことするんです!」
 いきなり大きなどなり声がしたので、王子さまはびっくりしてふりむきました。それはおひめさまのうばでした。
「ひめさまに乱暴なことして、いくら王子さまといっても、しょうちしませんよ!」
 王子さまは口を大きく開けました。
 そして、うばのスカートのかげに隠れるようにしてこちらを見ているおひめさまの姿を、見てしまいました。
 王子さまは口を閉じました。そして、
「ごめんなさい」
と言いました。王子さまは、それ以上言う言葉を持ちませんでした。おひめさまの他人を見るような差す目が、何よりも、全てを物語っていたからです。
 うばは、おひめさまを抱きかかえるようにして、ぷりぷりとお尻をふりながら早足で歩いていきました。
 王子さまは後に残されて、ぽつんと立っていました。ねこたちのしっぽが、王子さまの足もとにそよいでいました。
 王子さまはとらねこの頭をなでました。
「いいよ、お前が悪いんじゃない。さあ、またご飯をあげようね」
 そして王子さまは、ご飯をあげる続きを始めました。丸く、背中をかがめながら。
 
 次の日、王子さまはおひめさまとお城のろうかで会いました。
 王子さまは下をむいて、もぞもぞとおはようといいました。
 おひめさまは王子さまをちらっと見て、
「おはようございます王子さま」
と立派にごあいさつしました。
「王子さまはさいころ遊びはなさいますの?」
とおひめさまが訊きました。
「ううん」
 王子さまは下をむいて言いました。
「では、おはじき遊びはなさいますの?」
「ううん」
「では、かるた遊びはなさいますの?」
「ううん」
「では縄とび遊びはなさいますの?」
「ううん」
「では、隠れおにはなさいますの?」
「ううん」
「では、目隠しおにはなさいますの?」
「ううん」
「では、何をなさいますの?」
「花を作って、ねこと遊ぶ」
 王子さまは下をむいたままでした。
 おひめさまの、きれいなくつをはいた小さな足が、とんとんと二回床をうちました。
 おひめさまはふんと小さく鼻を鳴らし、そのまま立ち去りました。
 王子さまは下をむいたままでした。おひめさまの姿が見えなくなるまで、下をむいたままでした。
 
 ある日のことでした。ペルシャ人の魔法使いとその弟子が、お城にやってきました。魔法使いはまがった大きな鼻をしたえらそうな老人で、その弟子は上をむいた鼻をしたなまいきそうな少年でした。
 いったいに、ペルシャ人の魔法使いというものは、いかがわしいものです。拝火教徒で、火を拝みます。古代にはマギという名で知られ、東方の三賢者として西洋のキリスト教国の伝承にも残っていますが、今となっては、怪しげなからくりや、いんちきな錬金術をあやつる、落ちぶれた魔術師なのです。そんな輩を王さまが玉座の間に通したのは、王さまの好奇心からだったのですが、あまりにも無用心といえましょう。
 くだんの魔法使いは、空飛ぶじゅうたんを持って、王さまへの拝謁(はいえつ)をもとめたのでした。
 魔法使いと弟子は、王さまとおきさきさまと王子さま、そしておひめさまが座っている玉座の前に通されました。
「みいつたかきこの世に並ぶものなく賢き偉大なる王さまよ、われらは空飛ぶじゅうたんを献上せんがためやってまいりました」
 魔法使いは王座のまえでべったりとひれ伏しておじぎをし、ぺらぺらと調子よく語り、弟子の少年はきれいなししゅうのされたぶ厚いじゅうたんを、すばしこく広げました。
 王さまはこの世に並ぶものなく賢きなどと言われたのですっかりいい気分になって、
「ふうむ、うつくしいじゅうたんじゃ」
と、ふかふかのクッションにそっくりかえって言いました。
「本当に飛ぶものかどうか、どうじゃ、一度試しに見せてみよ」
「ははあ」
と魔法使いは深くおじぎをし、弟子の方にあごをしゃくりました。弟子は機械じかけのようにじゅうたんに飛び乗って、口のなかでなにかぶつぶつ言いました。すると、突然じゅうたんは空中に跳ね上がりました。そして魔法使いが杖をふりあげるとじゅうたんは天井ちかくにまいあがり、杖をぐるぐる回すのにあわせて空中を回りました。
「ほほう」
と王さまは感心して言いました。
 王子さまはきもをつぶして、クッションのなかに埋まってしまいました。それほどびっくりしたわけです。
 みなさんは、おひめさまがそれをみて、ふん、と鼻をならしたと思うでしょう。ところが、そうではありませんでした。おひめさまは、頬を赤くし、目をきらきらさせて、くいいるように空飛ぶじゅうたんを見ていたのです。
「どうじゃ、オナカノ・ポンポコリーノ。おまえも乗ってみんか」
と、王さまはとんでもないことを言いました。
「え……だ、だってぼく、こわいよ」
と、王子さまはもごもご言いました。
「なさけないのう、それでも男の子か。そら、早くしろ、乗ってみよ」
 王子さまは王さまにせかされて、しかたなく前に出ました。魔法使いの弟子が、ふわりとじゅうたんと共に降りてきました。
 王子さまは弟子と交代して、じゅうたんの真ん中に乗りました。弟子はにやにやしながら口のなかでぶつぶつと呪文をとなえました。
 じゅうたんがびくんと動きました。王子さまは驚いてじゅうたんにつかまりました。じゅうたんはまるで子馬が跳ねるように、こっちのすみを跳ね上げ、あっちのすみを跳ね上げしました。しかし、空中には浮かびませんでした。じゅうたんはどっすんばったんと暴れたあげく、王子さまを床に振り落としました。弟子が、口もとをおさえてにやにやしました。
「これはどうしたことじゃ」
 王さまが言いました。
 魔法使いがおもおもしく言いました。
「おそれながら、王子殿下はじゅうたんに乗るには少々太りすぎのようでございますな」
 王子さまはお尻をさすりさすり立ち上がりました。
 その様子を見て、王さまが笑い出しました。
「わっははははは、太りすぎとな、わっははははは、王子、そなたやはりふだんあまり食いすぎるからじゃ。わっははははは」
 おきさきさまも笑いました。ほほほほほほほ。
 おひめさまも笑いました。ふふん、ふふふふ、ふん。
 魔法使いは、口もとを着物のそでで隠して重々しく笑いました。
 弟子の少年はずっとにやにやしていました。
 召し使いたちでさえ、せきばらいをしたり、なにかを探すようなふりをしたりして、見つからないように笑いました。
 満場の笑いの真ん中で、王子さまは、ぽつんとひとり立っていました。いつもの、ひとのよい笑みを浮かべることも忘れて。
 
 王さまはたいへんごきげんでした。魔法使いに宝箱一箱につまった金貨を与えました。
 けれども魔法使いはたいへん驚いたという様子で、あっというまに床にはいつくばって言いました。
「時世の王さまよ、みどもはこのような身にあまるごほうびをちょうだいいたしたく、参上したわけではございません。ただただ、みいつたかき王さまに、すばらしきこの魔法のじゅうたんを献上いたしたく参ったまで」
 おうさまはおうように笑って言いました。
「よいわよいわ、わしがそちにやりたいのじゃ。このじゅうたんはそれだけの価値がある。重ねていらぬと申すと、ふたつに切って捨てるぞ。」
 魔法使いは、たいへん感じ入ったというふうに、ふたたびはいつくばりました。
「ははあ、ありがたきしあわせ」
 そして顔を袖の陰に隠すようにしながら、
「この世に誉れ高き王さまよ、みどもは悲しいことながら、この弟子をおいていかなければなりません。と申しますのも、魔法のじゅうたんをあやつることができるのは、みどもをおいてはこの弟子しかおりませんので」
といいました。みんなの目には、魔法使いが悲しみをこらえているように見えました。けれど、そのじつ、魔法使いはちっとも悲しんではいなかったのです。
「ふうむ」
と王さまはひげをひねりました。
「さてさて。その少年がいなければじゅうたんは飛ばぬ。さりとてその少年がいなければそちが困る」
 魔法使いはますます悲しそうに言いました。
「いえいえ、みどもごときの多少の不便がなんでありましょうや。どうぞお手元にとどめおき、なにもできぬ者ではございますが、なんでもよろしゅうございます、お城の御用にお使いくださいませ」
「よし!」
と王さまは手をたたきました。
「その少年を手ばなすかわりに、そちにあと一箱の金貨をつかわす。少年よ、そちは王子とひめづきの遊び相手に任命す。これできまりじゃ、だれも文句を言うなよ」
 もちろん誰も文句を言いませんでした。
 魔法使いと弟子は、誰にも見られないように顔を見合わせて、そっと笑っていたのです。
 魔法使いとしては、金貨二箱が手にはいったうえに、やっかいばらいができたわけですし、少年としては、寝る場所と食べものが約束されたうえに、楽なしごとにつくことができたわけです。
 しかしふたりは、抱き合って別れをおしみ、泣くふりをしました。
 おきさきさまは、
「まあ!」
とたいへん感激したようすでした。おひめさまも、感動したようでした。
 王子さまはそっと、誰にも見られずに玉座の間を出ていきました。
 王子さまは、お城のお医者さまのところに行ったのです。
 王子さまとお医者さまはなかよしでした。王子さまが怪我をしたねこをお医者さまに治してもらったり、お医者さまが薬になる植物を王子さまに作っていただいたりしてたのでした。
 王子さまはお医者さまに訊きました。
「どうやったらやせるの」
「そうですな」
 お医者さまは答えました。
「食べすぎないことと、運動をすることですな」
 でもいったいどうなさったのです、とお医者さまがたずねる前に、王子さまは行ってしまいました。
 もしかすると、ねこたちのところに行ったのかもしれません。
 もしかすると、ねこたちに、ぼくは太りすぎで、空飛ぶじゅうたんに乗れなかったんだよ、と言っていたのかもしれません……
 
 その夜はたいへんな宴会でした。
 魔法使いが、何のへんてつもない洗いざらしの、白いテーブルクロスから、つぎつぎとご馳走を取り出してみせたのです。それは、誰も見たことのないペルシャのご馳走でした。
「ほう、これはいったいどういった食べものじゃ。」
「さよう、ひつじの肉を詰めたひなどりの丸焼きでございますな。南京豆とアーモンドと米と乾ぶどうとこしょうと肉桂とひつじの刻み肉を詰め込んでおるのでございます」
「あら、ひつじの肉だなんて!」
 おきさきさまはすこしばかりびっくりしたようでした。
 それから魔法使いは、金や銀や宝石のついたみずさしにはいった、いろいろなお酒をだしました。
「ほう、これはいったいどういった酒かな。」
「さよう、おもにぶどうから作られておりますな。あとはお子さまのためのざくろのジュース」
「まあ、ぶどうですって!」
 おきさきさまは感心したような声をあげました。
 それから、白いひらたいパンを、何枚も何枚も曲芸のように出したので、みな、はくしゅかっさいしました。
 お城の料理番たちも、いっしょに食べることをゆるされました。ペルシャのご馳走を食べることなんて、そうそうないからです。
 お城の料理番は何人いたのでしょう──コック長、副コック長、主任焼き物がかり、主任煮物がかり、主任揚げ物がかり、主任お米がかり、主任果物がかり、お菓子のコック長、お酒にお茶のかかり、……おおぜいのお皿洗いにいたるまで、もう数えきれません。
 でも、魔法使いは次から次へとご馳走を出したので、何人いようが足りなくなるということはありませんでした。
 王子さまはもそもそとご馳走をつつきました。
 さっきお医者さまは、やせるには食べすぎないことと言いました。なので、王子さまはこれからはご馳走をがまんしようと決心したのです。
 しかしご馳走はあまりにも魅力的すぎました。ひつじのあぶらがぴかぴかとさそいます。金のみずさしがきらきら光ります。
 ちょっとだけならいいかしら。
 王子さまはこう思いました。
 ちょっとだけなら、今までの半分、いや四分の一くらいなら、食べてみても太らないかしら。
 王子さまはひつじの肉をひときれ食べてみました。その見事に調合された複雑な具の味わいときたら!
 王子さまは思わず、別のひときれを食べてみました。やわらかく叩いた肉が口のなかでこぼれました。
 また別のひときれを食べてみました。また別のひときれを食べてみました。
 異国の味の珍しいこと、おいしいこと!
 王子さまは、もう食べずにいられませんでした。次から次へと肉のお料理を口にはこび、パンを食べ、ざくろのジュースでながしこみました。魔法使いのだすご馳走は、まるで魔法がかかっているようにおいしいのでした。
「あら、オナカノ・ポンポコリーナったら、おまえそんなに食べて!」
 おきさきさまの声で、王子さまは我にかえりました。見てみると、王子さまの前には高く高くお皿が積み上げられていたのです。
 おひめさまが横目ちらっと見ました。
 王子さまはお医者さまの言葉をいっぺんに思い出しました。そしてお皿を見ました。四分の一どころか、半分どころか、いつもより食べちゃったじゃないか……・
 おうじさまはかなしくなりました。
「いやいや、よく食べることこそ健康な体のもとですぞ」
と、魔法使いがせきばらいをしていいました。
「とはいえ、このへんでみなさまもおなかいっぱいでございましょう。食後のお茶とまいりましょう。」
 魔法使いはテーブルクロスをひとふりして、食後のお菓子とお茶をだしました。不思議なことに、そのポットからはつきることなくお茶が出てくるのでした。
「アーモンドと砂糖とざくろを詰めてにっけいの粉をふりかけた、軽い焼き菓子でございます。お茶ははっかのお茶で、消化を助けますぞ」
 そのお菓子はすてきに甘く、ご馳走のしめくくりとして十分なものでしたし、はっかのお茶を飲むと、おなかがすっとして軽くなるのが分かりました。
「ううむ、かえすがえすも不思議な食事であったのう」
 王さまは満足しておなかをなでながらいいました。
 王子さまも、おなかがすっきりするのが分かりました。でも、おなかが細くならないことには変わりありませんでした。
 その夜、お城にいる誰もが(魔法使いもその弟子も、です)満足に眠りにつきました。ただ、月だけが、寝部屋の窓辺に落ちる王子さまの涙に気づきました……
 
 つぎの朝はやく、魔法使いは旅立ちました。らくだにたくさんの金貨をのせて、なんどもなんどもおじぎをしながら、魔法使いは見えなくなっていきました。
 王子さまは魔法使いを見送りおえて、毎朝の日課になっている、お花の水やりをしようとしました。けれども、魔法使いの弟子が庭をいったりきたりしながら王子さまをじろじろながめるので、気になってしょうがありませんでした。
 弟子は洟をひとすすりして、王子さまにこう言いました。
「なにをやってるんだい」
 王子さまはこんなぶしつけなたずねられかたをしたことがなかったので、たいへんどぎまぎしました。
「あの、花に水をやるんだよ」
「ふうん」
 弟子の少年はどうでもよさげに向こうの方を見ました。
「なあ、おひめさまはどこかなあ」
「あ、うん、あの、部屋じゃない?」
 その時、おひめさまがお城から庭に出てきました。
 弟子の少年は、ぶらぶらとおひめさまに近づきました。
「おひめさま、魔法のじゅうたんに乗るかい」
 王子さまはできるなら「魔法のじゅうたん」などという言葉を聞きたくありませんでした。なぜなら、ゆうべのみっともない姿を思い出すからでした。
 けれども、おひめさまはそうではありませんでした。おひめさまは目をかがやかせて、叫びました。
「乗る、乗る、乗るわ!」
 少年は
「ちょっと待ってな」
といってお城の中からじゅうたんをかかえて戻り、ばらりと広げました。おひさまの光の下でみるじゅうたんは、またいっそううつくしいものでした。よごれ汚れやしみのひとつもありません。そのあたりも魔法なのでしょうか。
「どれ、乗ってみな」
 おひめさまはわくわくして飛び乗りました。その横に、少年がどっこいしょと乗りました。
 王子さまはどうも自分がふたりにとってどうでもいい存在のような気がして、気がふさいでしょうがありませんでした。
 少年は口のなかでなにごとか呪文をとなえました。
 すると、とたんにじゅうたんはぴょんと空中五メートルくらいまで持ち上がりました。
「きゃっ」
とおひめさまはじゅうたんにつかまりました。
 弟子の少年はげらげらと笑って、
「大丈夫だよ。あばれたりしないから」
 その言葉のとおり、じゅうたんは静かに空中に止まっていました。
 おひめさまは安心して手を離し、少年と顔を見合わせて笑いました。
 少年はさらに呪文をとなえました。
 するとじゅうたんは、しずかにすうっと高さをあげました。王子さまは地面から口をぽかんと開けて見上げました。下から見ると、じゅうたんはまるでクッションくらいの大きさにみえました。
 さらに見ておりますと、じゅうたんは前後左右に動きはじめました。おひめさまのはしゃいだ笑い声が聞こえてきました。
 王子さまはおひめさまのそんな笑い声を、初めて聞いたのです。
 王子さまは、ぐいと腕で顔をこすりました。それからじょうろをとりあげて、花に水をかけはじめました。そのうちねこにもご飯をあげるのでしょう。
 じゅうたんはいつまでも飛んでいました。おひめさまはいつまでも笑っていました。王子さまはいつまでもじょうろを動かしていました……
 
 魔法のじゅうたんに夢中なおひめさまも少年も気がつきませんでしたが、王子さまは、花の水やりとねこへご飯をあげるといういつもの日課のほかに、もうひとつあることを始めたのです。
 それは、庭を走ることでした。
 王子さまはご存知のようにたいへんまるまるとしていましたから、たいへん苦労して走りました。ふうふうと息をきらしながら、顔を真っ赤にして、汗をたらたら流して走ったのです。王子さまは、あまりに夢中で、またあまりに苦しくて、自分がどれほど走ったかも分からないくらいでした。
 ふと気がつくと、お城に住みついているねこたちが、王子さまの後になり先になりして走っていました。
 王子さまは、ふうふういう息のなかで言いました。
「おまえたち、ぼくといっしょに走ってくれるのか」
 ねこたちはにゃあにゃあと言いました。
 ふうふう、にゃあにゃあ、ふうふう、にゃあにゃあ。
 王子さまとねこたち、不思議ななひとかたまりは、ふうふう、にゃあにゃあ、ふうふう、にゃあにゃあと、走っていきました。
 とはいえ、そうかんたんにはおなかはひっこみませんね。
 王子さまとねこたちは、毎日毎日、ふうふう、にゃあにゃあ、ふうふう、にゃあにゃあと、走りました。
 ふうふう、にゃあにゃあ、ふうふう、にゃあにゃあ。
 ふうふう、にゃあにゃあ、ふうふう、にゃあにゃあ。
 おひめさまと魔法使いの弟子は、空の上高く高く、じゅうたんに寝そべり、風にふかれておりました。
 
 ある朝、お医者さまが王子さまに言いました。
「あー、王子さま、わたしも走ろうかと思うんですがな。おほん、走るのは健康によいですからな。」
「ほんとう?先生、一緒に走ってくれるの?」
 王子さまはたいへん喜びました。ねこも喜んだにちがいありません。口々ににゃあにゃあと鳴いて飛び跳ねましたから。
 ふたりとねこたちは、一緒に走りました。
 ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ、ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ。
 ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ、ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ。
 おひめさまと魔法使いの弟子は、地上からは見えないあちらの国、こちらの国を遠く望んでおりました。
 
 ある朝、おきさきさまが多少お顔を赤くしながら、王さまに言いました。
「わがきみ、わたくし、王子と一緒にすこし走ろうかと思うんですの」
 王さまはおどろいて言いました。
「きさきよ、それはまたどうしたことじゃ」
 おきさきさまはますますお顔を赤くして言いました。
「いいえ、なんでもないんですけれども、走るのもいいかもしれないと思ったものですから」
 王さまはしばらく考えておられましたが、こちらもまたすこしお顔を赤くし、言いました。
「そなたの言うとおりじゃ。それに、わしも最近ちと腹が出てきたからのう」
 王さまとおきさきさまは手をつないで、庭に出ました。
 そこには王子さまとお医者さまとねこたちがいました。お医者さまは王さまとおきさきさまを見てふかぶかとおじぎをしました。
「あー王子よ、きょうからはわしときさきもいっしょに走ろうかと思うのじゃがのう」
 王さまはひげの横をかきかき言いました。
 王子さまは大喜びしました。
「本当?本当におとうさまとおかあさまも一緒に走ってくれるの?」
 おきさきさまはすこし泣きそうになって、
「おまえがこんなに喜ぶのだったら、もっと早く一緒に走ればよかったわね」
と言い、王子さまを抱きしめました。
 さて、四人とねこたちは、走り始めました。
 ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ、とっこりとっこり、どっすりどっすり。
 ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ、とっこりとっこり、どっすりどっすり。
「こ、これは、たいへんな運動じゃのう」
 王さまが息をきらしながらいいました。
「は、はい、そしてたいへん健康によろしいのです」
 おいしゃさまが目をまわしそうになりながらこたえました。
 王子さまはなにもいいませんでした。息がふうふうきれて、ねこたちに遅れないように走るので精一杯だったのです。
 その頃おひめさまと魔法使いの弟子は、雲の上をただよい、その白いかたまりにおひさまの光がはじけるのをながめておりました。
 
 ある雨の朝のことでした。
 魔法のじゅうたんも雨の日には乗ることができません。
 おひめさまはたいくつして、窓から外をながめておりました。
 すると、雨がっぱに身をつつんだ王子さまが、雨ぐつをはいて、がっぽがっぽとお城から出てまいりました。すると、どこからともなく、にゃあにゃあとねこたちがあつまってきました。ねこたちはずぶぬれです。
 王子さまはねこたちにうなずいてみせると、がっぽがっぽと走りだしました。それをみると、ねこたちも王子さまをかこむように走りだしました。
 正直にもうしあげて、それはあまりかっこうのよいものとはいえません。むしろ、かっこわるいくらいでした。王子さまは大きなおなかをしておりましたし、雨がっぱはなんだかよくわからない茶渋のような色をしていました。走るたんびに雨がっぱはがさがさとし、雨ぐつは泥水を盛大にはねらかしました。ねこたちもどろんこでした。
 けれども、おひめさまはそれをみると、なぜだかわかりませんが頬が熱くなるような気がいたしました。
 そして、またなぜだかはわからないのですけれど、カーテンをさっとしめて、窓ぎわをはなれ、頬を両手ではさんだのです。
 
 つぎの日は、たいへんすばらしい晴れの日でした。
 魔法使いの弟子がおひめさまを誘いにきました。けれどもおひめさまはそれに生返事をして断り、庭にでました。庭では王子さまが花に水をやっていました。
 おひめさまは、
「おはようございます、王子さま」
と言いました。いったい何日ぶりのごあいさつでしたでしょう。
 王子さまはびっくりしてふりむいて、
「あ、うん、おはよう」
といいました。
 おひめさまはしばらく下をむいて黙っていましたが、靴のつまさきで地面を蹴りながら、言いました。
「あのう……王子さまはいったいどうして毎日走っておられるのでしょう」
 王子さまも下をむいてしまいました。そしてじょうろを手でいじりまわしました。どうしてだろう、どうしてぼくは毎日走っているんだろう、それは、それはやせたいからにちがいないけど、そうではなくて、そう、それだけのことではなくて……王子さまはうんとうんと考えて、気がつくと、手からじょうろを取り落とし、おひめさまの手を握り締めていました。
「どうしてって……どうしてって……それは……きみといっしょにじゅうたんにのりたいから!」
 じょうろの水は、二人の足もとで、ごぼごぼごぼと土に吸い込まれていきました。
 おひめさまはじょうろの水を顔にくらったような気がしました。そして、真っ赤になりました。王子さまの顔も真っ赤でした。
 ふたりは、しばらく地面をじっとみていました。
「あの──!」
と王子さまが決心して口を開いたとき、王子さまもおひめさまも思わず顔を上げました。そして、お互いの真っ赤な顔を見てしまいました。
 おひめさまはますます真っ赤になりました。手を王子さまの手から引っこ抜き、大急ぎで身をひるがえし、お城の方に走っていってしまいました。ほてる頬を両手に挟みながら。
 王子さまもまたその場に立ち尽くし、真っ赤な顔のままおひめさまの後ろ姿を、いつまでも見ていました。
 
 つぎの日、おひめさまは頬づえをついて、ぼんやりと窓の外を見ていました。
 外では、王子さまがご両親とお医者さまと、おおぜいのねこたちといっしょに走っていました。
 ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ、とっこりとっこり、どっすりどっすり。
 ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ、とっこりとっこり、どっすりどっすり。
「ほんとうに素敵なことって……ほんとうに素敵なことって、なにかしら……。」
 おひめさまはつぶやきました。
 一行はまだ走っています。
 ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ、とっこりとっこり、どっすりどっすり。
 ふうふう、にゃあにゃあ、えっほえっほ、とっこりとっこり、どっすりどっすり。
 
 おなかはちいさくなったかな。

 

(C)2010 Toko Kikuchi .


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