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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/DVProject/DVProjectJ.html
http://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html


☆  一二 利潤、賃金、価格の一般的関係

 ある商品の価値から、その商品につかわれた原料その他の生産手段の価値を補填する価値を差し引くと、言いかえれば、その商品にふくまれている過去の労働をあらわす価値を差し引くと、その商品の価値の残りの分は、結局は最後に使用された労働者によってつけくわえられた労働の量になるであろう。もしその労働者が一日に一二時間働くとすれば、またもし一二時間の平均労働が六シリングにひとしい金(キン)の量に結晶するものとすれば、六シリングというこの追加価値こそが、彼の労働がつくりだした唯一の価値である。彼の労働時間によって決定されるこの一定の価値こそが、彼と資本家の双方がそれぞれの分けまえまたは配当をひきだすべき唯一の元本であり、賃金と利潤に分配されるべき唯一の価値である。この価値が両当事者のあいだに分配される割合がいろいろに変わりうるものであるからといって、そのためにこの価値そのものが変わるわけではないことは、明らかだ。たとえひとりの労働者のかわりに全労働人口をもってきても、一労働日のかわりにたとえば一二〇〇万労働日をもってきても、これまたなんの変わりもないであろう。
 資本家と労働者は、この限られた価値、すなわち労働者の総労働ではかった価値を分けるよりほかないのだから、一方が多く取れば取るほど他方の取り分はそれだけ少なくなり、一方が少なく取れば取るほど他方の取り分は多くなるであろう。量が決まっているばあいにはいつでも、その一方がへるのに反比例して、他方がふえることになる。賃金が変われば、利潤はそれと反対の方向に変わることになる。賃金が下がれば利潤は上がり、賃金が上がれば利潤は下がることになる。まえに述べた仮定にしたがって、もし労働者が自分のつくりだした価値の半分にひとしい三シリングを得るものとすれば、つまり彼の全労働日が、半分は支払労働、半分は不払労働からなるものとすれば、資本家も三シリングを得るわけだから、利潤率は一〇〇%になるであろう。もし労働者がわずか二シリングうけとるだけだとすれば、つまり全労働日のうちわずか三分の一だけ自分自身のために働くのだとすれば、資本家は四シリングを得、利潤率は二〇〇%になるであろう。もし労働者が四シリングうけとるものとすれば、資本家はわずか二シリングをうけとるだけになり、利潤率は五〇%〔46〕に下がることになろう。だが、これらすべての変動も、商品の価値に影響を及ぼすことはないであろう。したがって賃金の全般的上昇は、一般利潤率の低下をもたらしはするが、価値に影響を及ぼしはしないであろう。
 だが、諸商品の価値「「諸商品の市場価格は究極的にはこれによって規制されざるをえない「「は、もっぱら諸商品に凝固された総労働量によって決定されるのであって、その量が支払労働と不払労働とにどう分割されるかによって決定されるものではないとはいえ、だからといって、たとえば一二時間内に生産される個々の商品または幾組もの商品の価値がいつまでも不変なままでいるということにはけっしてならない。一定の労働時間内に、つまり一定の労働量によって、どれだけの数または量の商品が生産されるかは、使用される労働の生産力によって決まるのであって、その労働の伸度つまり長さによって決まるのではない。たとえば、ある程度の紡績労働の生産力では一二時間の一労働日内に一二ポンド〔目方〕の糸が生産されるだろうが、それより低度の生産力ではわずか二ポンドしか生産されまい。このばあいにもし一二時間の平均労働が六シリングの価値に体現されるものとすれば、一方のばあいには一二ポンドの糸に六シリングかかり、他方のばあいには二ポンドの糸に同じく六シリングかかることになろうしたがって一ポンドの糸には、一方のばあいには六ペンス、他方のばあいには三シリングかかることになる。こうした価格のちがいがおこるのは、使用される労働の生産諸力にちがいがあるためである。生産力が大きければ、一時間の労働は一ポンドの糸に体現されるであろうし、生産力が小さければ、六時間の労働が一ポンドの糸に体現されるであろう。一方のばあいには、賃金は相対的に高くて利潤率は低いにもかかわらず、一ポンドの糸の価格はわずか六ペンスにすぎず、他方のばあいには、賃金は低くて利潤率は高いにもかかわらず、その価格は三シリングとなろう。こういうことになるのは、一ポンドの糸の価格を規制するのは、それに投入された総労働量であって、その総量が支払労働と不払労働とに分割される比率ではないからである。労働の価格が高くても安い商品を生産することがあり、労働の価格が低くても高い商品を生産することがあるという、私がまえに述べたあの事実〔47〕も、したがってその逆説的な外観がなくなるのである。この事実は、ある商品の価値はその商品に投入された労働量によって規制されるのであるが、それに投入された労働量は使用される労働の生産力にまったく依存し、したがって労働の生産性が変動するたびに変動するという一般法則をあらわすものでしかない。


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